故に私はこの二縣志を土臺とし、これに私自身の實驗を加へて、長安の位置を紹介せようと思ふ。
唐代の長安の位置は、大體に於て、今の陝西省關中道の長安縣である。今の長安縣は唐の長安の北寄りの一部に過ぎぬ。唐の長安の大内裏と申すべき場所が、今の長安縣に當る。唐の長安は今の長安縣の東・西・南の三方面に、廣く擴がつて居つた。唐の長安の廣さは、東西十八里百十五歩、南北十五里百七十五歩の長方形をした城壁内に在つた。之を日本の里數に換算すると、ざつと東西二里十七町弱、南北約二里三町に相當するかと思ふ。長安はまた京城ともいふ。京城の中央より北の一區域を皇城といひ、ここが諸官衙の所在地で、我が大内裏に相當する。皇城の北部に宮城がある。この宮城は我が内裏に當つて、實に皇居である。要するに長安は、京城・皇城・宮城の三部から成立して居る。この宮城の正南門の承天門から、皇城の正南門の朱雀門を經て、京城の正南門の明徳門に至るまで、南北を一貫せる大通りがある。之を朱雀大街といふ。その廣さ一百歩といふから、約八十間道路に當り中々廣い。この朱雀大街によつて、長安は左街(東)と右街(西)とに兩分される。左街は即ち我が左京で、右街は即ち右京に當る。左右兩街ともに、五十五坊と一市を有するから、京城内にすべて百十坊と二市を有する譯である。この坊數に就いては異説もあるが、茲にはしばらく『唐六典』に據つて置く。
大師の時代には、左街に興慶宮――或は南内ともいふ――が出來た爲、坊數は多少減少した。一體に左街には宮殿や苑囿が多く、又勳貴官吏らの邸宅多くて淋しい。之に反して右街は商賣の住居が多くして繁華であつた。坊と坊との間には、何れも我が四五十間幅の道路があつた。四辻の場所には、我が交番所に比すべき武候鋪といふのが設置され、そこに派遣されて居る邏卒が、城内の警察を掌つた。誠に規模堂々たるもので、この時代に於ける世界の尤も立派な大都會であつたと思ふ。我が平城・平安の二京の整然たる設計は、長安のそれを模倣したこと申す迄もない。
長安はただにその外形に於て世界の大都會たるに止らず、その内容に於ても亦實に世界有數の大都會であつた。支那の文化は唐を絶頂といたし、唐の文化は長安を中心とする。大師の入唐は、唐の文化の最盛期ともいふべき、玄宗の天寶時代を距ること五十餘年で、唐の國運こそ漸く傾いたけれど、その文化と豪華とは、未だ少しも衰へて居らぬ。しばらく文藝方面を見渡すと、李白や杜甫(子美)は既に世を謝しても、韓愈(退之)・柳宗元・白居易(樂天)・劉禹錫・元※[#「禾へん+眞」、第3水準1−89−46]らは、何れも大師と略同年配の人で、當代に活躍して居つた。畫には李思訓・王維(摩詰)・呉道玄(道子)の如き大家こそなけれ、張※[#「王へん+繰のつくり」、第4水準2−81−4]・周※[#「日+方」、第3水準1−85−13]・邊鸞らの名匠が、大師入唐前後に輩出して居る。書には顏眞卿は大師の入唐に先だつこと約二十年に卒去したが、之に代つて大師時代の柳公權が在る。大師に筆道を傳へた韓方明も、當時錚々たる書家であつた。
長安の邸宅の壯麗となつたのは、玄宗の末期から徳宗の初年にかけてのことである。この間大臣貴族は邸舍の華麗を競爭した。建築熱の昌熾なること、前後無比と稱せられ、時人は之を木妖と稱して、その非常を警戒した程である。一本の玉釵に七十萬錢を擲つ者もあれば(『小學』卷六)、一株の牡丹に數萬錢を惜まぬ者――唐の柳渾の詩に近時無[#レ]奈[#二]牡丹何[#一]、數十千錢買[#二]一顆一[#一][#「顆一[#一]」は底本では「顆一」](石印『全唐詩』卷七)とある――もあつた。當時米一斗は五拾錢位を通例として、豐年の時には五錢、甚しき時は參錢位の時すらあつた。之から推すと、長安士女の奢侈知るべしである。此の如きは天寶以後のことで、大師入唐前後の有樣である。
長安は又當時東洋に於ける國際關係の中心であつた。唐の天子は單に支那人の皇帝たるのみでなく、併せて塞外諸族及び西域諸國共同の大君主と仰がれて、天可汗といふ稱號をもつて居る。此等の諸酋長又は諸國王は、何れも唐の天子の官職を受け、その子弟を質として、唐の天子の許に差出した。當時これを侍官といふ。唐の天子から特別の御思召を以て、李姓を賜はり、又は公主を賜はることあれば、彼等は之を無上の光榮として、他部又は隣國に誇つた。唐から蕃部へ下嫁する公主を、當時和蕃公主と稱した。『唐詩選』にも載せられて居る、かの孫逖の詩に、
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邊地鶯花少。年來未[#レ]覺[#レ]新。美人天上落。龍塞始應[#レ]春。
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とあるのは、玄宗の開元二十五年(西暦七三七)に、契丹に下嫁した永樂公主を詠じたものである。
此等の羈縻藩屬の諸部・諸國
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