一]。
[#ここで字下げ終わり]
とある通り、官民ともに日本でなければ、夜も晝も開けぬといふ状態であつた。

 漢字すら日本から逆輸入した熟字が歡迎される。團體・運動・目的・代表・犧牲・社會・舞臺・組織・機關等の文字は、今日支那の新聞雜誌上に散見して居るが、此等の熟字は何れも日清戰役後に、日本から輸入されたものである。それはまだよい。支那人の中には、更に進んで株式・手形・組合・手續・取締・黒幕等の恐れ入つた熟字までも、歡迎使用するのである。
 變つた方面では、日本から大和魂までも、支那に輸出して居る。往古日本が盛に支那の文化を輸入した時代でも、和魂漢才と申して、國魂だけは決して支那の厄介にならなかつたが、支那ではその國魂までも、日本から輸入して居る。支那の先覺者の中には、日本の國運の振興したのは、大和魂の御蔭である。支那の國勢不振は、中國魂なきによる。支那の急務は中國魂を製造するに在りと絶叫した者もある。國魂とか國粹とかいふ熟字も、皆日本から輸入した新熟字たること申す迄もない。
 要するに六朝・隋・唐以來、千五百年に亙つて、我が國は絶えず支那の文化を借り受けたが、日清戰役後二十年の間に、國魂の如き立派な利子まで添へて、その借債を返還した。唯一の未拂として殘つて居るのが、宗教だけである。我が國の佛教が、過去に於て支那から大なる借債を負ひながら、今日まで借金をその儘に、支拂はずに棄て置くのは、何としても不都合と申す外ない。是非日本より佛教を支那に逆輸入して、往時の負債を辨償せなければならぬ。日本の佛教を支那に傳播することは、單に消極的に、過去の返禮を果たすといふに止らず、積極的に兩國の親睦を圖り、世界の平和を進める爲にも必要と思ふ。日支兩國はいはゆる輔車唇齒の關係に在りながら、最近の如く兩國民の感情※[#「目+癸」、第4水準2−82−11]離し、意思干格すること多いのは、甚だ遺憾に堪へぬ。若し佛教といふ連鎖によつて、兩國民の融合を圖れば、幾分この禍根を緩和し得る筈である。
 成る程支那に於ける、日本の布教權が未だ確立して居らぬから、多少の不便ないでもない。されど之は早晩解決されようし、また解決せなければならぬ問題で、さほど懸念するに足らぬ。懸念すべきはむしろ日本僧侶の決心いかんに在る。日本の僧侶に、三億の支那國民を感化するだけの、勇氣と眞心とをもつて居るや否やが、第一の
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