部と大差なくなつた。
 始皇帝の力によつて、空前の一大帝國が建設されると共に、秦の威名は遠く海外に振ひ渡つた。兩漢から三國時代にかけて、北狄でも西域でも、中國人を呼んで常に秦人というて居る。南海方面でも同樣であつた。西暦一世紀頃のギリシア人の地理書には、世界の極東の國をシナと記載してあるが、恐くは當時南海方面で、中國を秦と呼んだのを、極東來航の泰西の商賈達が訛り傳へたものであらう。シナといふ國號の起源に就いては、學者間に異説があつて、或は雲南地方の※[#「さんずい+眞」、第3水準1−87−1]國と結合せしめ、或は之を安南地方の日南郡に還原せしめて説明する人もあるが、皆採るに足らぬ。シナは必ず秦と關係せしめて解釋すべきものである。
 シナ又はシニスタン(秦人の國の義)といふ名稱は、印度から中央アジア・西アジアへかけ、更に歐洲まで尤も廣く使用されて居る。支那又は至那等はシナの音譯、震旦又は振旦等はシニスタンの音譯である。漢や唐も國威四方に張つた結果、その國號は中國の代名として、外域に使用されたことがあるけれども、到底支那の如く世界的でない。秦の天下に君臨した年月は短かつたに拘らず、その國名
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