秦始皇帝
桑原隲藏

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)驪山《リザン》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)將|欒書《ランショ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「さんずい+緡のつくり」、第4水準2−78−93]

 [#…]:返り点
 (例)秦取[#二]天下[#一]多[#レ]暴。
−−

         一

[#ここから2字下げ]
支那四千年の史乘、始皇の前に始皇なく、始皇の後に始皇なし。瞶々者察せず、みだりに惡聲を放ち、耳食の徒隨つて之に和し、終に千古の偉人をして、枉げて桀紂と伍せしむ。豈に哀からずや。
[#ここで字下げ終わり]
 こは私が去る明治四十年十月十日、始皇の驪山《リザン》の陵を訪うた當時の紀行の一節である。五年後の今日、復た始皇の傳を作つて、彼の爲に氣を吐くとは、淺からぬ因縁といはねばならぬ。
 從來始皇帝の評判は餘り馨くない。彼を世界の偉人の伍伴に加へることに就いては、多少の反對あるべきことと思ふ。漢初政略的に使用した暴秦とか無道秦とかいふ語が、所謂先入主と爲り、吾人の腦裏に拔くべからざる印象を存して居て、始皇帝といへば、直に破壞壓制を連想する程である。いかにも始皇帝に幾多の缺點短處があらう。しかし之が爲に彼の美點長處まで全然沒了するのは偏頗である。過酷である。〔已に司馬遷もこの點は六國表に注意して、
[#ここから2字下げ]
秦取[#二]天下[#一]多[#レ]暴。然世異變。成功大。傳曰。法[#二]後王[#一]何也。以[#下]其近[#レ]己而俗變相類。議卑而易[#上レ]行也。學者牽[#二]於所[#一レ]聞。見[#下]秦在[#二]帝位[#一]日淺[#上]。不[#レ]察[#二]其終始[#一]。因擧而笑[#レ]之。不[#二]敢道[#一]。此與[#二]以[#レ]耳食[#一]無[#レ]異。悲夫。
[#ここで字下げ終わり]
と述べて居る。〕虚心にして考へると、始皇帝が支那歴代の君主中、稀有の大政治家であり、又その立てた制度が、久しく且つ廣く後世に影響して居ることは、到底否定し難い事實と思ふ。又その人格も、一般に信ぜられて居るよりは、餘程善い方面があると思ふ。この批評の當否は、彼が一生の事蹟を根據として、
次へ
全19ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング