吏B、『元史』の孝友傳、列女傳、『明史』の孝義傳、列女傳の中には、醫療の目的で人肉を食用した例證が頗る多い。陳藏器の『本草拾遺』から、この風習の俑を作つたといふことも、大體に於て事實を得たものと認めねばならぬ。さればこそ支那一流の刺股行孝といふ風習は、唐以後に限つて、隋以前に見當らぬのである。
 陳藏器の『本草拾遺』は原の儘では今日傳らぬが、後世の本草書類に引用されて居るから、その大概を知ることが出來る。支那本草を集成した、明の李時珍の『本草綱目』卷五十二にも、亦『本草拾遺』を引き、羸※[#「やまいだれ+祭」、第3水準1−88−56]の醫藥として人肉を擧げて居る。吾が輩は人肉が醫藥として、しかく有效のものであるや否やを審にせぬが、支那人の記録によると、餘程效能あるやうである。
 父母の爲、若くば舅姑の爲め、自己の股肉を割いて供した所謂孝子孝女は、唐宋以後の正史野乘を始め、各地方の通志、府縣志等に疊見して居つて、一々列擧するに堪へぬ。しばらくその一端を示す爲に、四五の事實のみを次に紹介する。
 (a)[#「(a)」は縦中横]『宋史』卷四百六十、列女傳、
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吉州安福縣
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