ヲの肝を食したものらしい。隨初の王頒は、その父が陳の武帝に殺害されたのを怨み、隋の征南軍に加つて陳を滅ぼし、武帝の陵を發いて、その骨を焚き水に混じて之を飮んだといふ(『隋書』卷七十二、孝義傳)。唐初の王君操は、父の讎なる李君則を刺殺し、その腹を刳き、心肝を取り出して、立所に※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]食し盡した(『舊唐書』卷百八十八、孝友傳)。特に心臟や肝臟を食する場合の多い理由は、已に Groot の注意せる如く、この心肝は生命の根源として、支那人一般に信ぜられて居るからである(The Religious System of China. Vol. IV, pp. 373−374)。その仇敵の心肝を食ひ盡くすことは、彼の生命に對して、最後の、同時に最大の打撃を與へ、その復活を不可能ならしむる所以に外ならぬ。
怨敵の肉なり骨なり心肝なりを食して、鬱憤を晴らすといふのが、支那人古來の風習である。近く西暦千八百九十五年の八月に、廣東地方の或る村落間に水論が起り、兩派に分かれて激しい爭鬪を續けた。この爭鬪の間に、雙方とも多くの死傷者を出し、又若干の捕虜が出來た。此等敵の捕虜は
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