聿@紀八、義寧元年の條)。同じく隋末に河北を寇掠した賊首張金※[#「禾+爾」、第4水準2−83−10]が、官軍に捕獲された時の光景は、『資治通鑑』隋紀七、大業十二年の條に、次の如く記載されて居る。
[#ここから2字下げ]
吏立[#二]木於市[#一]。懸[#二]其頭[#一]。張[#二]手足[#一]。令[#下]仇家割[#中]食之[#上]。未[#レ]死間。歌謳不[#レ]輟。
[#ここで字下げ終わり]
唐の則天武后時代の酷吏に來俊臣がある。酷吏の代表として後世にまで聞えて居るが、この來俊臣が後に棄市せられた時、民衆は爭うてその肉を割食した。『資治通鑑』唐紀二十二、神功元年の條に、
[#ここから2字下げ]
仇家爭※[#「口+敢」、第3水準1−15−19][#二]{來}俊臣之肉[#一]。斯須而盡。抉[#レ]眼剥[#レ]面。披[#レ]腹出[#レ]心。騰※[#「足へん+(日/羽)」、第4水準2−89−44]成[#レ]泥。
[#ここで字下げ終わり]
と見えて居る。唐の玄宗の奸相楊國忠が馬嵬で、禁軍の憤怒を買ひ、遂に軍士の爲に※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]食された(『新唐書』卷二百六、楊國忠
前へ
次へ
全107ページ中76ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング