フ一例と認めねばならぬ。隋の朱粲や五代の趙思綰も亦人肉愛用者の中に加へねばなるまい。朱粲が當初人肉に口を着けたのは、食糧の缺欠に由るが、彼が人肉を第一の美食と公言せる以上、彼は當然人肉愛用者と認めねばならぬ。趙思綰に就いては五代末(?)の無名氏の『玉堂閑話』(『太平廣記』卷二百六十九所引)に、
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趙思綰……凡食[#二]人肝[#一]六十六。無[#レ]非[#二]面剖而膾[#一レ]之。至[#二]食欲[#一レ]盡。猶宛轉叫呼。而戮者人亦一二萬。嗟乎|儻《モシ》非[#下]名將仗[#二]皇威[#一]而勦[#上レ]之。則孰能翦[#二]滅黔黎之※[#「けものへん+契」、187−10]※[#「けものへん+兪」、187−10][#一]。
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と傳へて居る。隨分驚くべき話ではないか。
 唐の張※[#「族/鳥」、第4水準2−94−39]の『朝野僉載』に、薛震が人肉を愛用せし事を記して、
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武后時。杭州臨安尉薛震。好食[#二]人肉[#一]。有[#二]債主及奴[#一]。詣[#二]臨安[#一]。止[#二]於客舍[#一]。飮[#レ]之醉。竝殺[#レ]之
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