D{Smithsonian Miscellaneous Collections, Vol. 47, Part 3}pp. 313, 316)。されば大饑饉の時に、支那人の間に人相食といふ事件の現出するのは、當然と申さねばならぬ。最近民國九年(西暦一九二〇)に於ける北支那の饑饉には、諸外國からの救助も相當に行き渡つたから、人肉食用の蠻行は起らなかつた樣であるが、光緒四年の饑饉には、この蠻行が實現して居る(Williams; Middle Kingdom. Vol. II, p. 736)。
上に紹介して置いた Hosie の論文に、唐初から明末に至る、約一千年間に於ける饑饉に伴つて起つた Cannibalism の事蹟をも注意してあるが、擧一漏九底のもので決して完全でない。支那でやや大なる饑饉があれば、Cannibalism が殆ど必然的に現出する。歴代正史の食貨志や、五行志に見える實例だけでも驚くべき程多い。正史以外の野乘隨筆等に散見する事例も、中々尠くない。饑饉に伴つて起る Cannibalism は、支那では餘りに普通で、態※[#二の字点、1−2−22]列擧する必要を見ぬ。多數の
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