{を盡して居つた。所が一日弟の趙禮が、馬武といふ盜賊の頭目の手に捕獲された。馬武は彼自身、
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某今在[#二]這宜秋山虎頭寨[#一]。落草《ミヲオトシテ》爲[#レ]寇。也《マタ》是不[#レ]得[#レ]已而爲[#レ]之。毎[#二]一日[#一]要[#レ]喫[#二]一副人心肝[#一]。今日拿[#二]住一頭牛[#一]。欲[#レ]待[#レ]殺[#二]壞他[#一]。
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と告白して居る通り、この趙禮を料理して食に充てんとした。弟の不運を聞き知つた趙孝は、早速馬武の營下に到つて、弟の身代りに立たんことを哀求した。かくて馬武の面前で、趙孝、趙禮の兄弟が、身の肥痩を競ひ死を爭うた。さしも鐵心腸の馬武も、二人の友情に感動して、之を放免した。やがて東漢一統の世となると、馬武は用ひられて天下兵馬大元帥となり、彼の推擧で趙孝趙禮兄弟も、それぞれ出世するといふのが、この劇の筋書である(『元曲選』第二十九册參看)。この趙孝趙禮の墓は、今も直隷省昌平縣の西北の賢莊口にあるといふ(『光緒昌平州志』卷十)。趙孝趙禮の事蹟は『後漢書』に、
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及[#二]天下亂[
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