゙料と思ふ。
 明の謝肇※[#「さんずい+制」、第3水準1−86−84]の『文海披沙』卷七に、左の如き記事がある。
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我太祖高皇帝時。開平王常遇春妻甚妬。上賜[#二]侍女[#一]。王悦[#二]其手[#一]。妻即斷[#レ]之。王憤且惧。入朝而色不[#レ]懌。上詰再三。王始具對。上大笑曰。此小事耳。再賜何妨。且飮[#レ]酒寛[#レ]懷。密令[#二]校尉數人[#一]至[#二]王第[#一]。誅[#二]其妻[#一]支[#二]解之[#一]。各以[#二]一臠[#一]賜[#二]群臣[#一]。題曰[#二]悍婦之肉[#一]。肉至。王尚在[#レ]座。即以賜[#レ]之。王大驚謝歸。怖※[#「りっしんべん+宛」、第3水準1−84−51]累日。此事千古之快。其過[#二]唐太宗[#一]萬萬矣。
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 唐の太宗は、曾て兵部尚書の任環に二宮女を賜ふたが、任環の妻柳氏は妬※[#「女+旱」、174−14]で、二宮女を虐待した。太宗は態※[#二の字点、1−2−22]柳氏を招きて懇諭したが、柳氏は頑として聽入れぬ。一天萬乘の太宗も、已むを得ずして二宮女を別宅に安置させたことが、唐の張
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