L[#二]訴者[#一]。斬[#二]于洛陽市[#一]。
[#ここで字下げ終わり]
 但 〔Abu^ Zayd〕 が支那人の法律は人肉を食することを認可すといへる一節は、多少の説明を要する。既に孟子も「獸相食。且人惡[#レ]之」(梁惠王上)と申して居る位で、支那人とて人肉の相食むのを尋常の出來事として看過する筈がない。現に唐の張巡が忠義の爲とはいへ、人肉を食したことに對してすら、一部の非難があつた(『新唐書』卷百九十二、張巡傳)。支那人の法律が主義として人肉食用を公認する筈がない。されど 〔Abu^ Zayd〕 の時代、即ち唐末から五代の初期にかけて、支那國内の秩序亂れ綱紀壞ぶれ、所在の市場で人肉の公賣されたことは、疑なき事實である。『五代史記』も『資治通鑑』も、揚州の市場で公然人肉の販賣された事實を明記してある。即ち事實としては、當時の支那官憲は、人肉の食用と販賣に對して、何等の禁制を加へなかつた。此の如くして 〔Abu^ Zayd〕 傳ふる所のこの一節も、亦大體に於て事實と認めねばならぬ。

         五

 唐末五代以後も、支那人の Cannibalism は依然行はれた、こ
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