執へ、之を金に換へて賊軍の糧食に資するが如きは、支那以外の他國では、到底見當らぬ咄々《とつとつ》怪事と思ふ。
 唐の中世以後揚州は支那第一の大都會であつた。當時揚一といふ諺があつて、富庶繁華を以て天下に冠絶して居つた。所が唐末紛擾の際に、殊に當時の軍界の元勳たる淮西節度使の高駢が失勢して以來、揚州は群雄爭奪の區となり、多年修羅の巷となつた。『舊唐書』にその光景を傳へて、次の如く記してある。
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廣陵(揚州)大鎭。富甲[#二]天下[#一]。自[#二]{畢}師鐸、秦彦之後[#一]。孫儒{楊}行密。繼踵相攻。四五年間。連[#レ]兵不[#レ]息。廬舍焚蕩。民戸喪亡。廣陵之雄富掃[#レ]地矣(卷百八十二、秦彦傳)。
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 この間揚州の住民は、文字通りに塗炭の苦を受け、魚肉の厄に罹つた。『五代史記』に上の(5)[#「(5)」は縦中横]に紹介した同一事實を記して、
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是時城中倉庫空虚。飢民相殺而食。其夫婦父子。自相牽。就[#レ]屠賣[#レ]之。屠者※[#「圭+りっとう」、171−3]剔如[#二]羊豕[#一](卷六十一上、呉世家)。
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