死篇)と公言した程である。就中唐の末期に、この蠻風が前代の慣例以上に甚しく流行した。この事實が當時支那に往來した、マホメット教徒の見聞に觸るるのは、當然と申さねばならぬ。今試に『資治通鑑』に據つて、〔Abu^ Zayd〕 の時代に當該する、四十年間に起つた食人肉に關する記事を左に開列する。勿論こは『資治通鑑』一書に見えた記事のみで、他の公私の記録を廣く渉獵したものでないから、必しも當時に於ける人肉食用の事實を、悉く網羅したものでないことを、特に附記して置く。

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年代 「記事」
(1)[#「(1)」は縦中横]唐僖宗中和二年(八八二)四月 「長安城中。斗米直三十緡。賊賣[#二](買?)人於官軍[#一]以爲[#レ]糧。官軍或執[#二]山寨之民[#一](良民避[#レ]亂入[#レ]山築[#レ]柵自保者)鬻[#レ]之。人直數百緡。以[#二]肥瘠[#一]論[#レ]價。」
(2)[#「(2)」は縦中横]僖宗中和三年(八八三)六月 「時民間無[#二]積聚[#一]。{黄巣}賊掠[#レ]人爲[#レ]糧。生投[#二]於碓磑[#一]。併[#レ]骨食[#レ]之。號[#二
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