p日本人が飢饉の場合、籠城の場合に、人肉を食用したといふ確證が見當らぬ。まして嗜好の爲、憎惡の爲、人を啖つた事實の見當らぬのは申す迄もない。太田錦城が、日本では神武開闢以來、人が人を食ふこと見當らざるは、我が國の風俗の淳厚、遠く支那に勝る所以と自慢して居るが(『梧窓漫筆』後編上)、この自慢は支那人と雖ども承認せねばなるまい。
此の如く食人肉の風習は隨分廣く世界に行はれて居つたが、支那の如き世界最古の文明國の一で、然も幾千年間引續いて、この蠻風を持續した國は餘り見當らぬ。支那人間に於けるこの Cannibalism は、外國傳來のものであるか、若くばその國固有のものであるかは、勿論容易に決定することが出來ぬ。但極めて悠遠なる時代から、可なり普通に、この蠻風が支那人間に存在したことは、吾が輩が上來紹介し來れる事實に據つて、疑を容るべき餘地がない。
日支兩國は脣齒相倚る間柄で、勿論親善でなければならぬ。日支の親善を圖るには、先づ日本人がよく支那人を了解せなければならぬ。支那人をよく了解する爲には、表裏二面より彼等を觀察する必要がある。經傳詩文によつて、支那人の長所美點を會得するのも勿論必要であるが、同時にその反對の方面、即ちその暗黒の方面をも一應心得置くべきことと思ふ。食人肉風習の存在は、支那人にとつて餘り名譽のことでない。されど儼然たる事實は、到底之を掩蔽することを許さぬ。支那人の一面に、かかる風習の存在せし、若くば存在することを承知し置くのも、亦支那人を了解するに無用であるまいと思ふ。
支那人間に於ける食人肉風習の存在は、決して耳新しい問題でない。南宋の趙與時の『賓退録』、元末明初に出た陶宗儀の『輟耕録』を始め、明清時代の支那學者の隨筆、雜録中に、斷片的ながらこの食人の史實を紹介し、若くば論評したものが尠くない。日本の學者でこの史實に注意したものも、二三に止らぬ。就中『東京學士會院雜誌』第三篇八册に掲載されてある、神田孝平氏の「支那人人肉ヲ食フノ説」の一篇が、尤も傑出して居る。傑出はして居るが、勿論十分とはいへぬ。
元時代の Marco Polo 以來、明清時代に支那に來た、西洋の宣教師や旅行家が、往々支那人間に於ける食人肉風習を傳へて居るが、何れも斷片的報告に過ぎない。この風習に關する研究的な論文は、未だ歐米の學界に發表されて居らぬ。千九百二年二月六日發行の
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