は、支那人の孝行は、極めて形式的であるといふ證據にもなり、又一面では彼等の手紙は極めて紋切型のものであるといふ證據にもなると思ふ。
 支那人は一般に精神よりも、形式に重きを置く傾向がある。これも彼等の保守氣質と關係せしめて、説明することが出來る。上に述べた通り、支那人は先例を重んじて之を固執する。長い年月の間には、種々の事情の爲、先例そのものの精神が疾《とく》に失はれても、その形式だけを大事に守つて行く。支那人の習慣のうちには、名實隔離して、他國人から觀ると隨分奇妙なことが多い。
 支那人は孝を百行の本として、最大の善行と認める。忠孝と併稱する中にも、支那では孝が國家なり社會なりの基礎となつて居る。歴代の政府は、何れも孝行を獎勵する。孝道尊重は確に支那人の一美點に相違ないが、ただ何事にも精神を後にして、形式を先にする支那人は、孝行といへば、裸體で氷上に臥して、親の病氣の平癒を神に祷るとか、昔の二十四孝の極端な手本を、その儘に眞似する者が尠くない。勿論之には名聞利慾の爲といふ動機も加はつて居るが、兔に角極端な眞似をする。そこで政府は孝行を獎勵しつつも、流石に極端な形式的孝行は時々禁止して居る。
 〔支那は禮儀第一の國である。あらゆる禮儀の中でも、喪禮が古來尤も重大視されて居る。されど後世になると、支那の喪禮は形式のみで精神がない。五胡時代に後燕の昭文帝の皇后の喪禮を行うた時、百官が宮廷に會同して哀を擧げた。一同大聲を揚げて形式的に哭するのみで、泪など流す者は一人もなかつた。昭文帝は彼等の空々しい擧動を心憎く思ひ、目附役に命じて、泪を流して居らぬ者を調査して處分させた。百官達は意外の處分に恐惶して、次の式日からは、皆懷中に唐辛一包づつ用意して置き、哭する場合には、唐辛を含んで強いて泪を出して處分を免れたといふ。
 支那程喪禮の喧しい國はなく、支那ほど喪禮に實哀の伴はぬ國はない。今日でも支那の葬式は、外觀の形式の仰々しい割合に、肝心の死者に對する哀情が伴はぬ。葬列には職業的泣男まで加へるといふが、喪主その人は喫煙しつつ談笑するなど、われわれ日本人から見ると、腹立しく感ぜられる場合が多い。單に喪禮のみに限らず、あらゆる支那の古代の禮教が、その形骸のみを留めて、その精神を失ひつつあるのは、慨しい極みである。〕
 いくら保守的の支那人でも、長い年月の間には、種々の必要上、隨分制度改革を實行した場合も尠くない。併しかかる場合でも、支那人は決して在來の制度を捨てぬ。舊の制度はその儘に保存して、新しき制度をその上に添加するのである。支那人の改革は要するに新しきものを増加することで、舊きものを廢止したり、乃至之を改良することを意味せぬ。歐陽脩などは、唐の官制を精而密とか、簡而易[#レ]行とか、盛に賞讚して居るが、その實、唐の官制は周と秦・漢と、三國以來の新官制とを、殆ど取捨を加へずに合同したもの故、その官制には主義も精神もなく、冗官重複頗る多い。之に比較すると、わが太寶の官制の方が、遙に簡にして要を得、出藍の譽を受くべき資格が十分にあると思ふ。
 清朝の兵制の變遷を見ても同樣である。清朝は最初緑旗(緑營)の兵で地方を守備し、八旗の兵は一面皇城の守備に當り、一面地方の緑營の監督をした。この緑營と旗兵で天下を彈壓したが、時を經る儘に、旗兵も緑營も腐敗して、實戰に間に合はぬ樣になる。長髮賊の起つた時には、各地方で義勇兵が組織されて、これが旗兵・緑營以上の手柄を建てた。そこで亂後もその義勇兵(勇兵)をその儘に保存して、一團の常備軍が出來上つた。併し從前の旗兵や緑營に手を着けぬから、つまり二重の兵制を維持せなければならぬことになつた。日清戰役後、支那で段々洋式の新軍が組織される樣になつても、矢張り從前の兵隊を全く解散せぬ。
 支那人の遣口《やりくち》はすべてこれである。故に支那には嚴密の意味の改革といふことが甚だ稀で、從つて支那には進歩がない。支那の梁啓超が、曾て北京で我が矢野(文雄)公使に面會した時、明治十四年に出來た黄遵憲の『日本國志』によつて、種々の日本のことを質問すると、矢野公使は、
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『日本國志』は約二十年前の書物である。日本の十年間の進歩は、支那の百年以上に當る。『日本國志』で日本の今日を忖度するのは、丁度『明史』に據つて支那の現状を論ずると同樣、事實を距ること遠い。
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と答へた。その後梁啓超は日本に渡來して見ると、矢野公使の言、人を欺かざることを發見したというて居る。
 支那は早くから西洋の新文明に觸接したが、例の保守と自尊とが邪魔をして、中々新文明を採用させぬ。所が日清戰役と日露戰役とによつて、流石に四千年來の長夜の夢を醒まして、變法自強を唱へることになつたのは、よくよくの事で、支那人も自白して
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