立て、僅に一日の中に、さしもの巖石城を陷落さした。この軍威に風靡して、間もなく九州平定の功を收むることが出來た。
 安市城と巖石城とは、必ずしも同樣に行かぬかも知れぬ。併し李勣が氏郷と同一の覺悟をもつて居つたら、今少し何とか良き結果を收め得られたに相違ない。武將としての氏郷の聲望は、遙に李勣の下に在らうが、自分の責任を重ずるといふ點では、萬々李勣に優つて居る。
 責任の自覺、自覺に對する決心、之が我が武士道の神髓である。支那の軍人はここに缺陷がある。支那の梁啓超は曾てその『飮氷室文集』の中に、日本人には日本魂がある。即ち武士道である。然るに支那人には中國魂が見當らぬ。日本と支那との強弱の岐るる原因はここに在る。故に支那今日の最大急務は、日本人の日本魂に劣らぬ中國魂を製造するに在りと主張したことがある。中國魂はしかく容易に製造し得るであらうか。西洋人の中には、支那にも日本に於けるメッケル、トルコに於けるゴルツの如きものあらば、有力な軍隊が組織されると信じて居る者が多い。メッケルやゴルツでも、支那人に中國魂を與へることは容易であるまい。梁啓超の所謂中國魂の成否が、支那の今後の運命の岐かるる所であらう。

         二 支那人の文弱(下)

 兵役を苦にし、戰爭を厭ふ支那人は、概して外國に對して侵略を行はぬ。支那人は古代から華夏と誇稱して、四圍の異族を東夷・西戎・南蠻・北狄などと排斥して居るけれど、特別の場合の外は、決して之に兵力を加へぬ。輝[#レ]徳不[#レ]觀[#レ]兵とか、遠人不[#レ]服修[#二]文徳[#一]以來[#レ]之とかいふのが、支那人の蠻夷に對する大方針である。勿論この方針は理想で、實際に施しての効果は頗る疑はしい。
 支那の北邊に居る塞外種族は、殺戮を以て耕作となし、掠奪を以て本業とする蠻民である。如何に支那人が平和に眷戀しても、彼等は容赦なく侵略を加へる。殷時代の※[#「けものへん+熏」、第4水準2−80−53]鬻、周の※[#「けものへん+僉」、第4水準2−80−49]※[#「けものへん+允」、第4水準2−80−30]、秦漢時代の匈奴、隋唐の突厥・囘※[#「糸+乞」、第3水準1−89−89]、宋の契丹・女眞・蒙古の如き、皆それである。併し支那人は決して此等の北狄に對して、兵力を以て對抗せぬ。時には以[#レ]夷制[#レ]夷の策を採ることもあるが、多くの場合、金帛を贈つてその歡心を買ひ、彼等の侵入劫掠を緩和するのが、歴代慣行の政策であつた。明治四十四年の秋、支那人(漢人)が革命を起して、滿人(清朝)より獨立した時の檄文に、
[#ここから2字下げ]
漢人實耕。滿奴食[#レ]之。漢人實織。滿人衣[#レ]之。
[#ここで字下げ終わり]
と憤慨の辭を連ねてあるが、この事實は決して清朝時代に限つた譯でない。支那は往古から、北狄の寶藏金庫たるべき運命をもつて居る。南北朝の末に出た突厥の他鉢可汗は、
[#ここから2字下げ]
但使[#二]我在[#レ]南兩兒(北齊と北周)常孝[#一]。何憂[#二]於貧[#一]。
[#ここで字下げ終わり]
というて居る。北狄の君主は、何時もこの他鉢可汗の心を心として、支那を脅迫して榮華を盡したのである。支那にも稀には秦の始皇帝や、漢の孝武帝の如き、豪傑の君主が出て、北狄征伐をやつたこともあるが、兵を窮め、武を涜す者として、支那國民間の評判は決して宜しくない。功を異域に建てた軍人なども、餘り國内では歡迎されぬ。
 西漢時代に西域の副校尉に陳湯といふ豪傑があつて、當時漢の大累をなした匈奴の※[#「至+おおざと」、第3水準1−92−67]支單于を襲ひ殺して、稀有の大功を建てたことがある。所が當時の丞相の匡衡といふ儒者は、制を矯めて――當時陳湯は遠く西域に在り、至急を要することとて、天子の許可を待つに由なかつたのであるが――兵を動かした者に賞を加へては、從來これに倣つて、事を塞外に起すもの續出すべしとて、痛くその功を抑へた。豪傑の陳湯は他の事情もあつたが、かかる大功を建てたに拘らず、その晩年は實に憐むべき悲境に陷つた。
 また唐の玄宗時代に、大武軍の牙將に※[#「赤+おおざと」、第3水準1−92−70]靈筌といふ者があつて、當時塞北に跋扈して、屡※[#二の字点、1−2−22]唐を侵略した突厥の可汗の默啜の首を獲て、之を朝廷に獻じたことがある。この時にも宰相の宋※[#「王へん+景」、第3水準1−88−27]といふ者が、※[#「赤+おおざと」、第3水準1−92−70]靈筌に厚賞を加へると、年少氣英の天子に邊功を獎める結果を生ずべしとて、彼の功を抑へたから、※[#「赤+おおざと」、第3水準1−92−70]靈筌は不平と失望との爲に、遂に慟哭吐血して死んだと傳へられて居る。
 支那人が文弱で怯懦であることは、古き
前へ 次へ
全10ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング