る。金時代に詭隨――『金史』に見ゆ――といふ語がある。何れも旗色のよき方に妥協して、反覆常なきをいふ。支那人は個人としても、團體としても、自己保全の方法として、好んでこの兩面詭隨を慣用するが、實に唾棄すべき所行と思ふ。猜疑の惡徳たることは殊更申述べる必要がない。
 治日少而亂日多とは支那人の常套語である。支那の歴史を見渡すと、いかにも太平の日が少い。上下四千載の歴史は、梅雨期の天氣の如く、陰鬱の影多くして光霽の趣に乏しい。支那人が黄金時代と誇稱する周ですら、太平の日は僅に五六十年に過ぎぬ。その他推して知るべしである。此の如きは妥協と猜疑の必然の結果でなからうか。征伐すべきものも、鎭壓すべきものも、すべて妥協によつて一時を糊塗するから、不安の原因は何時までも根絶せぬ。根絶せぬ不安の原因は、君臣同僚彼此の猜疑によつて一層増進する。梁啓超は曾て中國の積弱は防弊――官吏を猜疑すること――に由ると説破した。之にも半面の眞理はあるが、吾が輩はこれに苟合を加へ、中國の積弱宿弊は、多く支那人の妥協性と猜疑心とに本づくものと信じたい。
 近頃支那人の覺醒といふことが、新たに問題となつて來た。多くの論者は
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