に節を踰えぬ孔子には似合はず、諸弟子の驚き怪む程激しく慟哭して、「非[#二]夫人之爲[#一レ]慟而誰爲」(先進篇)とさへ極言されて居る。この後ち魯の君哀公や魯の大臣の季康子に、我が弟子のことを聞かれた時、孔子は何れにも、
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有[#二]顏囘者[#一]………不幸短命死矣。今也則亡(先進篇・雍也篇)
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と對へてゐる。孔子がいつまでも顏囘を忘れ得なかつたことがわかる。孔子の生涯の中に、この顏囘の死んだ時ほど氣の毒に思はれる時はない。孔子の晩年は極めて不幸であつた。顏囘と前後してその實子の鯉(伯魚)を喪ひ、また愛弟子の一人なる子路も衞の國難に死んだ。しかし顏囘の死は孔子にとつて第一の不幸で、これが爲に孔子の身神に大なる痛手を受けたこと想像するに餘ある。かくて顏囘の死後三四年にして、我が孔子も世を辭された。孔子の墓は今の山東省の曲阜縣の北郊約十四五町ばかりの孔林の中に在る。孔林とは孔子を始め、その一族の墓地である。

         三 孔子(下)

 最後に孔子の人格について一言を申し添へたい。私は先年『斯文』といふ雜誌の孔子追遠號に、孔子の人格に關する私見を披瀝して置いたから、之を抄録して茲にその大要を紹介する。
 (第一) 孔子の一生は平凡である。その經歴も平凡で奇蹟がなく、その學説も平凡で豫言がない。他の精神界の偉人には、釋迦でも、キリストでも、マホメットでも、皆奇蹟や豫言が伴つて居る。彼等は或時期に、人界から神界に移つて居る。人界を超越して居れば居る程、彼等を直ちに人間修養の手本となし難い。獨り孔子のみは終始人界を離れず、人間を以て始まり、人間を以て終つた。孔子はその偉人たる點に於て、釋迦やキリストや、マホメットに一歩も讓らぬであらうが、その經歴やその學説は、やや平凡を免れぬ。平凡の偉人といふのが、孔子の特色であらう。支那經典の英譯者として、又オクスフォード大學に於ける支那學講座擔任の最初の教授として名高いレッグは、曾て孔子を評して、
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公平の立場から觀て、孔子の性格にも學説にも、偉人の面影を見出し難い。
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と申して居る。レッグの評は勿論間違つて居るが、その間違ひの裡にも、平凡の偉人たる孔子の面目が現はれて居ると思ふ。
 (第二) 上述の如く孔子は大體に於て平凡で、ただ不斷の努力によつて、偉人の位置に到達したのである。孔子の如く修養の效果の顯著なる人は、殆ど他に比類がなからう。この點が他の偉人とは立ち優つて、吾人の修養の手本として、尤も適當な人物と思ふ。
 『論語』を見ても明白なる如く、孔子は絶えず努力して、年一年と進歩した人で、その進歩の順序も極めて規則正しく、宛《あたか》も學生が小學より中學、中學より高等學校、高等學校より大學と、年を追うて進級して行く面影があつて、誰人にでも眞似出來る樣な階級を歴て、層一層と人格を高めて居る。長い修養の間に、少しの不思議も奇蹟もない。孔子はその晩年に、一生の修養に就いて、「吾十有五而志[#二]于學[#一]。三十而立。四十而不[#レ]惑。五十而知[#二]天命[#一]。六十而耳順。七十而從[#二]心所[#一レ]欲不[#レ]踰[#レ]矩」(爲政篇)と申して居る。彼が老の將に至らんとするのも忘れて、晩年まで孜々として修養に努力せしことがわかる。世界の偉人の中で、孔子程修養に努力した人はあるまい。孔子は自ら「我非[#二]生而知[#レ]之者[#一]」(述而篇)というて、自身の生れながらにして偉人たることを否定し、修養によつて成功した平凡の偉人たることを自白して居る。後世の儒者らが孔子を尊崇する餘り、孔子を生知安行の聖人として、強いて凡人と區別せんとするのは、不心得千萬と申さねばならぬ。殊に近年公羊學を唱ふる輩が、孔子に種々の奇蹟を附會し、之を豫言者扱せんとするは、實に孔子を誣ひ、孔子を賊するものと申さねばならぬ。
 (第三) 孔子の人格は頗る圓滿である。『論語』に子貢が孔子を評して、「温・良・恭・儉・讓」(學而篇)とあるが、尤もよく孔子の人格を描出して居ると思ふ。又『論語』に「子絶[#レ]四。毋[#レ]意。毋[#レ]必。毋[#レ]固。毋[#レ]我」(子罕篇)とある通り、孔子は決して我見を固執せぬ。彼の言行は終始中庸で、極端や過激がない。從つて危險もなければ弊害も尠ない。
 此の如く孔子は圓滿なる人格を具へ、言行中庸を失せぬから、彼はその一生を通じて、殆ど他から迫害を受けたことがない。彼は一生不遇ではあつたが、その學説その言行は、當時の人から一般に尊敬されて、決して迫害を受けなかつた。桓※[#「鬼+隹」、第4水準2−93−32]の難や、陳・蔡の厄など傳へられて居るが、之は例外の出來事で、又その實情も明白でない。た
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