、殆どこの秕政の根源たる宦官の廢止を主張した人がない。尚古思想の強い支那人は、『書經』や『詩經』に宦官を是認してあるといふ理由で、又嫉妬心の強い彼等は、婦女監視には中性の宦官が必要であるといふ理由で、宦官の弊害を知りつつ、矢張りその保存を主張する。『資治通鑑』の作者たる司馬光の如き達識家でも、宦官は全廢すべからず、但しその位置を低下し、その取締を嚴重にすべしといふに過ぎぬ。『大學衍義補』の著者丘濬の如き、『明夷待訪録』の著者黄宗義の如き、政治評論を以て聞えた學者でも、宦官に對する意見は、格別司馬光のそれと相違する所がない。如何に位置を低下しても、取締を嚴重にしても、宦官の存する以上、長い年月の間に、必ず弊害を生ずることは、明・清の實例に由つて明白でないか。宦官を全然撤廢して、源を塞ぎ本を拔かねば到底無效である。支那人の間に、宦官全廢論の起つたのは、恐らく二十餘年前に、孫詒讓等の創唱以來のことであらう。その孫詒讓の論據は、世界の列強は宦官を置かず、宦官を存するのは、トルコの如き弱國に限るといふにあつたと記憶する。兔に角その當時餘り有力でなかつた宦官全廢論が、今日に至つて始めてその現實を見得た譯で、民國成立後宦官は無勢力で、その存廢は政治上格別の影響なしとしても、兔に角かかる野蠻な制度の撤廢されただけでも、支那の爲に祝福すべきことと思ふ。
[#地から3字上げ](大正十二年八月三―五・七日『大阪毎日新聞』所載)



底本:「桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑」岩波書店
   1968(昭和43)年2月13日発行
底本の親本:「東洋史説苑」
   1927(昭和2)年5月10日発行
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
2002年2月26日公開
2004年2月21日修正
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