(A)[#「(A)」は縦中横] 王國維説の弱點
『史記索隱』に引く所の張華の『博物志』の記事は、その形式や内容から觀て、司馬遷の告身か履歴等に關係ある漢時代の簿書を、その儘に抄録したもので、尤も信憑すべき史料である。この最も信憑すべき史料の年二十八を、年三十八と改竄する所に、王國維説の弱點を免れぬ。勿論これは下の太初元年の條の『史記正義』に、司馬遷の年四十二とあるに一致せしむべく、已むを得ず改竄したとは思ふが、私の所見に據ると、張守節の註にしかく多大の信用を置いて、『博物志』の記事をその犧牲に供したことは、到底贊同し難い弱點と思ふ。
『漢書』の司馬遷傳に、司馬遷がその晩年に、故人の益州刺史任安に報じた書面を載せてある。その書面に司馬遷が彼自身の境遇を、
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僕不幸蚤失[#二]二親[#一]。無[#二]兄弟之親[#一]。獨身孤立。
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と敍して居る。王國維説に據ると、司馬遷が父を失つたのは、三十六歳の時に當る。張惟驤の論駁せる如く、三十六歳ではやや蚤失[#二]二親[#一]といふ文句に適合せぬ。これも王國維説の弱點であるまいか。
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