O一四五)を司馬遷の生年と認むるのである。同時に唐の司馬貞の『史記索隱』に、西晉の張華の『博物志』を引いて、太史公自序の元封三年(西暦前一〇八)に、司馬遷が太史令となつた時の註に、
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博物志、太史令、茂陵、顯武里、大夫、司馬〔遷〕――同治九年に金陵書局で刊行した『史記集解索隱正義合刻本』には、司馬遷年二十八と明記してある――年二十八。三年六月乙卯。除[#二]六百石[#一]也。
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とある二十八は、三十八の誤で、元封三年より三十七年前に溯つた景帝の中元五年(西暦前一四五)を、司馬遷の生年と認むるのである。
張惟驤の主張の核心は、『史記』の太史公自序の本文より推測して、元封元年(西暦前一一〇)に父司馬談の卒去せし時に、司馬遷は年方に二十歳なりと斷定して、元封元年より逆算して十九年前の武帝の元光六年(西暦前一二九)を、司馬遷の生年と認めるのである。同時に彼はまた『史記索隱』に引く所の『博物志』の「年二十八。三年六月乙卯」といふ文句を、太初三年(西暦前一〇二)のことに擬定し、太初三年より二十七年前に溯つて元光六年(西暦前一二九)を司馬遷の生年と認む
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