と傳へられて居る。『後漢書』に彼が紙を發明した事蹟を下の如く記してある。
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自[#レ]古書契多篇以[#二]竹簡[#一]。其用[#二]※[#「糸+(賺−貝)」、第3水準1−90−17]帛[#一]者。謂[#レ]之爲[#レ]紙。※[#「糸+(賺−貝)」、第3水準1−90−17]貴而簡重。竝不[#レ]便[#二]於人[#一]。倫(蔡倫)乃造[#レ]意用[#二]樹膚麻頭及敝布魚網[#一]以爲[#レ]紙。元興元年奏[#二]上之[#一]。帝(和帝)善[#二]其能[#一]。自[#レ]是莫[#レ]不[#二]從用[#一]焉。故天下咸稱[#二]蔡侯紙[#一](蔡倫のち龍亭侯に封ぜらる。故に蔡侯といふ(4))。
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『後漢書』より遙か以前に、東漢時代に出來た『東觀漢記』にも、亦同一の記事がある(5)。范曄の『後漢書』の記事は、大體『東觀漢記』のそれを襲踏したものと見える。『東觀漢記』載する所の蔡倫の傳は、桓帝の元嘉年間(西暦一五一―一五三)即ち紙の發明時代を去る僅に四十餘年の後に編纂されたものであるから(6)、その記事は信憑して差支ない。紙といふ名稱は蔡倫以前も以後も同一ではあるが、實質は相違して、蔡倫以後は、紙といへば、專ら樹皮、麻頭、敝布、古網等を材料として製造した書寫の材料を意味することとなつた。
許愼の『説文解字』は東漢の和帝の永元十二年(西暦一〇〇)から安帝の建光元年(西暦一二一)にかけての作で(7)、即ち大體蔡倫の在世時代に作られたもので、殊に蔡倫と許愼とは若干知り合ひの間柄であらうと想像さるべき餘地さへある。その『説文解字』に紙の字を絮《フルワタ》一|※[#「竹かんむり/沾」、71−16]《スノコ》也と解説して居る。清の段玉裁は更に之に注して、
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按造[#レ]紙※[#「日+方」、第3水準1−85−13][#二]於漂絮[#一]。其初絲絮爲[#レ]之。以[#レ]※[#「竹かんむり/沾」、72−1]《ス》荐《スキカサネテ》而成[#レ]立。今用[#二]竹質木皮[#一]爲[#レ]之。亦有[#二]緻密竹簾[#一]荐[#レ]之是也(8)。
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といふ。許愼の絮一※[#「竹かんむり/沾」、72−2]也といふ解説のうちには、製紙の原料と方法とが含まれて居る。
さて製紙の原料として絮を使用したのは何時代のことか、許愼の解説は勿論、段玉裁の注釋を見ても不明瞭である。『説文解字』に絮敝緜也といふ。蔡倫が製紙の原料として使用せし敝布を廣義に解釋すると、その中に絮をも包括し得べきやうに思はれる。併し清初の方以智などは之とは反對で、絮を擣き之を荐きて紙を製造したのは、西漢時代若くはその以前からのことである。蔡倫は絮に代へるに樹皮、麻頭、敝布、漁網等を以てしたのみであると主張して居る(9)。Hirth 氏の「支那に於ける紙の發明」といふ論文も此點に關しては、方以智と略同樣な考を持つて居るやうに見える(10[#「10」は縦中横])。Hoernle 氏(11[#「11」は縦中横])や Jacob 氏など(12[#「12」は縦中横])は、更に一歩を進めて、古代トルコ種族の使用した氈の製法は、紙のそれと同樣である。多分古代の支那人は北狄の氈の製法に傚ひ、毛に絮を代へて紙を製造したものであらうと考へて居るが、これは想像に過ぎて、頗る信用し難い。
Hoernle 氏や Jacob 氏の説はしばらく措き、『説文解字』は大體永元十二年即ち蔡倫が紙を製出した以前に編纂されたもので、許愼の紙の字の解説が其時の儘とすると、方以智等の説に可なりの根據が出來、從つて蔡倫はただ製紙の新原料を發見したのみで、製紙の方法を發明したものでなく、發明者としての蔡倫の聲價は幾分低落すべきこととなるが、たとひ蔡倫以前に絮を製紙の原料として、今日の樣な紙を作つたことを事實としても、植物纖維を製紙の原料に利用したのは蔡倫の功で、植物纖維を原料として使つた紙、例せば麻紙、穀紙、襤褸紙、Rag−Paper などが古今を通じて、尤も人文の發達に貢獻したのであるから蔡倫の功績はやはり廣大無邊といはねばならぬ。斯には兔角の議論を避け、しばらく『後漢書』の記事を素直に解釋して、蔡倫を製紙の發明者として置かう。
三
支那の製紙法がマホメット教國へ傳つたのは、唐の玄宗時代のことである。當時西域に石國といふのがあつた。今の Tashkend(元時代の塔什元《タシユケンド》)が即ち唐代の石國である。Tashkend といふ名自身がトルコ語で石國の意味である。西暦八世紀の初頃から、石國を始め其附近の諸胡國は、或時は唐に或時は大食《タージ》に、國威の盛なる方に羈縻《きび》される姿となつた。玄宗の天寶九載(西暦七五〇)に
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