迄もない。之に續くが李栢文書である。この文書は年號を缺いて居るけれども羽田學士の研究によると、東晉の咸和三年乃至五年(西暦三二八―三三〇)の間のものと認定される(34[#「34」は縦中横])。果して然りとすれば、之も亦古代の支那紙を研究するに見逃すべからざる材料である。
 昨年清國へ出張されたわが京都文科大學教授諸君の調査によると、學部若くば個人の所藏に歸した敦煌の遺書中に、南北朝隋唐時代の古寫經が頗る多い。年號の備はつて居るものも少くない。何れも支那紙研究の材料に供すべきであるが、殊に唐の至徳二載(西暦七五七)の『十戒經』は怛邏斯《タラス》城の戰役後六年目のもので、西本願寺所藏の天寶五載の牒状と共に支那紙西傳時代に關係ある重要の材料である。
 要するに最近數年間に古代の支那紙を研究すべき新材料が多數に蒐集された。此等の材料殊に西本願寺所藏の古文書――が Wiesner 教授と同樣の方法によつて、科學的に研究された曉に、始めて世界の製紙史上に於ける支那紙の位置が確定される譯である。吾が輩はかかる時期の一日も早く到來せんことを希望するのである。

參照
(1)清の李惇の『群經識小』(『皇清經解』卷七百二十二)。
(2)晉の杜預の『春秋左氏傳』序の註。
(3)清の劉寶楠の『論語正義』卷一所引。
(4)『後漢書』卷一百八、宦者列傳。
(5)『東觀漢記』卷二十(『武英殿聚珍版全書』所收)。
(6)『欽定四庫全書總目提要』卷五十。
(7)許愼の『説文解字』敍及びその子、許沖の「進『説文解字』上書」。
(8)『段注説文解字』第十三篇上。
(9)『通雅』卷之三十二。
(10[#「10」は縦中横])"Die Erfindung des Papiers in China" S. 7 (T'oung Pao, 1890).
(11[#「11」は縦中横])"Who was the Inventor of Rag−Paper?" p. 680 (J.R.A.S. 1903).
(12[#「12」は縦中横])"Oriental Elements of Culture in the Occident" p. 522.
(13[#「13」は縦中横])『資治通鑑』卷二百十六。
(14[#「14」は縦中横])Le Strange; "The Lands of the Eastern Caliphate" p
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