の原料を變へて今日一般に使用さるる純粹の襤褸紙(Pure Rag−Paper)を産出するに至つたのは、マホメット教徒の功といはねばならぬ。
支那紙の原料の樹皮は、最初は石臼にて人力で擣き碎いたものであるが、これでは纖維組織を損すること多く、從つて出來上つた紙質も粗鬆《そしよう》で、字を書くと※[#「さんずい+念」、80−11]《ち》る恐がある。やや後世――西暦七八世紀頃――となると、化學作用で樹皮の纖維組織を餘り損ぜぬやうになつた。從つて紙質も一段改良された。併し敝布は依然石臼で擣き碎いた儘である。所がマホメット教國の産紙を調査するとその原料たる敝布から化學作用で、手際よく纖維を抽出した痕が歴々として認められる。マホメット教徒は原料取扱について、支那人よりも一層の改良進歩を遂げたといはねばならぬ。
原料の變更原料取扱の改良この二點を除くと、マホメット教徒の製紙の方法は――原料に糊を混加し、又は紙面に澱粉末を塗布して紙質を良好にする方法まで――大體支那人のそれと同一である。
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 以上の斷案が今日の學界に證典として公認されて居る。併し多少の疑惑を挾むべき餘地がないでもない。第一 Wiesner 教授の調査した支那紙の數は決して多くない。年代の確實なるものは僅か六七種に過ぎぬ筈である。然も此等は多く唐代のもので、何れも和※[#「門<眞」、第3水準1−93−54]《コータン》の東北約百マイル許の 〔Wanda^n−Uiliq〕 地方から發掘されたものである。一地方から發掘された少數の支那紙の調査のみでは、決して支那紙全般の原料や製法を確實に推斷する譯にはいかぬ。
 第二に東漢時代から已に麻紙、穀紙、網紙の區別があつた。『東觀漢記』の一本に、
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倫(蔡倫)典[#二]尚方[#一]作[#レ]紙。用[#二]故麻[#一]名[#二]麻紙[#一]。木皮名[#二]穀紙[#一]。魚網名[#二]網紙[#一]。
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と記してある。故麻といふと麻|襤褸《ぼろ》のことであらう。すると網紙は勿論、麻紙もたとひ純粹の襤褸紙でなくても、その主要成分は熟纖維(Textile Fibres)であつたと想像される。少くとも天山南路で發掘された支那紙――Wiesner 教授によれば樹皮を主要原料とせる――と同一の成分ではなかつたであらうと思はれる
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