となく韋で編み連ねて用を辨じた。之を策といふ。策は册と同字で、許愼の『説文解字』には正しく※[#「册」の篆書(fig42345_01.png)、70−3] に作る。之は簡を韋で編み連ねた形に象つたので、所謂象形文字である。唐の孔頴達の『左傳正義』に、
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簡之所[#レ]容一行字耳。牘乃方版。版廣[#二]於簡[#一]。可[#三]以竝[#二]容數行[#一]。凡爲[#二]書字[#一]。有[#レ]多有[#レ]少。數行可[#レ]盡者。書[#二]之於方[#一]。方所[#レ]不[#レ]容者。乃書[#二]於策[#一](2)。
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とあるのが即ち是である。先秦時代には、字數の僅なる事柄は簡に書き、法律の箇條などは版に書き、書籍は大抵策に書いた。今も一篇二篇というて書籍を數へるのはその名殘である。戰國時代から、帛も間々書寫の材料として使用さるることとなつたが、帛に書いた書籍は一卷二卷と數へた。
 兔も角も先秦時代では、書籍は大抵策に寫されたもので、重量容積多大にして不便極り、費用も嵩み、たとひ帛を使用しても、費用は一層であるから、中々一個人では書籍を所有する事が出來ぬ。清の阮元も、
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古人簡策繁重。以[#二]口耳[#一]相傳者多。以[#レ]目相傳者少(3)。
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と申して居る。『書經』や『周禮』や其他の古書に、一般の數目を擧ぐる場合が多い。例せば三徳とか、三友とか、三樂とか、四教とか、四維とか、四載とか、五福とか、五行とか、五教とか、六言六蔽とか、六官とか、七政とか、七祀とか、八蠻とか、八元八※[#「りっしんべん+豈」、第3水準1−84−59]とか、九思とか、九疇とか、此等は皆暗記を容易にする手段である。東漢の末に出た蔡文姫が、その亡父蔡※[#「巛/邑」、第3水準1−92−59]の著書四百篇餘を暗記して居つたのは、當時でも幾分古の諳誦風の存して居つた證據である。

         二

 東漢の和帝の元興元年(西暦一〇五)に蔡倫といふ宦者が始めて紙を發明した。蔡倫は桂陽(湖北省桂陽州)の人で、尤も工藝思想に富み、尚方の令となつた。尚方とは少府の管下の、宮中の御用品を制作することを掌どる官省で、令はその長官である。蔡倫はここで寶劍其他の宮中御用の諸器を作つたが、皆精工堅緻にして、後世の法となすに足つた
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