紙の起源である。
四
マホメット教國の勃興以前は勿論、その初起時代でも、パミール以西の諸國では、書寫の材料として、普通にカヤツリ紙即ち Papyrus か殊に革紙即ち Parchment を使用した。『史記』の大宛傳及び『漢書』西域傳に安息國(Parthia)のことを記して、「畫[#レ]革旁行爲[#二]書記[#一]」といひ、『梁書』諸夷傳に滑國即ち厭帶夷栗※[#「こざとへん+施のつくり」、第4水準2−91−67](Ephthalites)のことを記して、「羊皮爲[#レ]紙」とあるのは當時革紙の使用された證據である。便利で徳用な支那紙が使用され始めてから、カヤツリ紙も革紙も次第にその影を潛むるに至つた。
マホメット教國の製紙法は支那のそれを傳へたものであるといふことは、可なり以前から知られて居つたが、その製紙法傳來の年代はやや不明瞭であつた。Casiri 氏は囘暦の三十年(西暦六五〇―六五一)を、Hammer−Purgstall 氏は囘暦の五十六年(西暦六七五―六七六)を製紙法傳來の年代に當てて居る(20[#「20」は縦中横])。其他西暦七百四年傳來説も普通であつた(21[#「21」は縦中横])。オーストリーの Karabacek 教授ははじめてマホメット教國の材料により Hirth 氏は支那の史料によつて之を助け、〔Ziya^d〕 が支那の捕虜を使役して、薩末※[#「革+建」、75−16]《サマルカンド》に製紙工場を起したのは、西暦の七百五十一年に當ることを確實にした(22[#「22」は縦中横])。
Karabacek 教授の著書には 〔Taa^libi^〕 や 〔Qazwi^ni^〕 などいふマホメット教徒の記録を引用して、薩末※[#「革+建」、76−1]《サマルカンド》に製紙工場の創設された當時の有樣を述べて居る。今その著書を參考することが出來ぬけれども、その大要は他に引用されて居るから、之を抄譯すると次の如くである。
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薩末※[#「革+建」、76−4]市に就いては、特に紙を記載せねばならぬ。薩末※[#「革+建」、76−4]の紙はその美麗と便利と廉價の諸點で、遙に從來のカヤツリ紙及び革紙に優つたから、容易に後者を市場より驅逐した。この紙はただ薩末※[#「革+建」、76−5]及び支那に於てのみ産出される。『國及び路
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