るですけれども、それは以前ならば兔も角も今日では多少人も知つて居るし、夫等の大體の話は他に聽き得る便宜も多からうと思ひますから、私はそれよりもう一つ進んで其時分の蒙古人は如何なる状態であつたか、如何なる生活をして居つたか、如何なる家に住んで居つたか、如何なる食物を食つて居つたかといふことを申して見たいと思ふ。
 其事は今まで殆ど誰も餘り注意して居らない問題である。その内には吾々が今日から見ると隨分奇妙なこともあるのです。此樣なる話は聽いて居つては或は蒙古の戰爭の話よりも面白くないかも知れぬが、實際其方が有益なことで、蒙古人が大いなる事業をしたといふ所の根底も其間に横たはつて居るのである。所が前にも申す通り此問題といふものは今迄誰もさう調べたことのない問題でありますから、吾輩が此處で話をしようと思うて實は三日程前から一寸調べて見たけれども、いろいろな用事もあるし、なかなかどうもそのはや旨く往かない(笑聲起る)。それで今日はまあ其時間が來たからして、仕方なしに出て來たものの、自分の希望を云へばもう二三日延ばすともう少し面白く、もう少し完全に諸君の前にその話をすることが出來ると思ひますが、唯今となりては致し方もありません(笑聲起る)。
 さて元時代の蒙古人が如何なる有樣であつたかといふことを調べるのには支那の書物は殆ど參考するに足らぬ。全く間に合はないとは申さぬけれども、それは丁度砂を披きて金を拾ふと同じことで、偶には砂金などというて見付からぬことはないかも知れぬけれども、それは惡くすると殆ど徒勞に屬するのであります。それでは元時代に於ける蒙古人の風俗を知るのに何が一番の材料であるかといふと、それは當時のヨーロッパ人の旅行記を讀むのであります。
 元時代には蒙古人は東の方は朝鮮から、西の方はロシア、ハンガリーの邊りまでも皆領地にして置いて、アジア大陸を横切つてヨーロッパまで領地にして居りましたから、其間には非常に交通が便利になつて居りまして、ヨーロッパの人なども澤山來たのであります。其來た人は幾らもあります。けれども、其中には極めて不注意な者があつて、そんな時代に來ながら何等の記録を遺さない人もあるし、偶々記録を遺した所が左程參考にもならない記録があるけれども、其中には立派な人があつて、吾々に取つて今日歴史上缺くべからざる材料を給するやうな紀行もあるのです。この紀行が第一
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