の混った料理屋の酒を飲んで一円も給仕人にチップを出すとは? 登恵子には彼等の趣味が殆ど分らなかった。それも家では美味しい料理が出来ないからたまに上手な商売家で晩餐を奢るというなら兎もあれ、場末の小料理屋が下手なコックと悪い材料を使って拵えたものなど何処に味があろう? 彼女にはこんな処へ寄りつくお客どもは味も風味も分りはしない唯もう飲みさえすればいいという、豚のような人間共だと蔑まれた。
それから十二時も過ぎて午前一時までに二三組の客を送迎した登恵子は、最後に勤人とも何とも似体《えたい》の知れぬ洋服の客を受け持った。彼は初め二三本のビールを一息に飲みほしてから思い出したように一皿の料理を注文して食べ、それからウイスキーのコップを蟻のように舐めては薄気味悪い秋波を送って何時までも立たない。そうして雑談が変じて彼は遂に登恵子を口説き出した。彼女があたりさわりの無い返事で受け流して居ると、いい気になって………………いたずらをするのであった。
亀甲亭では毎夜午前二時より早くお看板にするようなことはなかったが、流石に午前三時を過ぎて漸く遅いということに気づいたと見え、主人が出て洋服の客に挨拶した。処が、それまで左程よっていなかった客は急にぐでぐでに酔った風を装ってくだを巻きかけた。
「何だと、三時半? 何でもっと早く時間を知らせてくれない、もうガレージは寝ているじゃないか、馬鹿な、これから芝まで帰れると思うか。」
「俥よんで参ります、俥屋なら何時でも起きますから。」
「なに、俥? ふざけるな亭主、俥なんかに乗れると思うか、俺は俥なんかに乗ったことが無いんだ。いいから此処に泊めろ、祝儀は幾らでもやる。」
こう言って客はくだを巻いた。そしてとどのつまりは吾妻橋までボーイを送らせたら帰ろうと言うのであった。
「登恵ちゃん、済まないけれど送ってくれないか? 帰って貰わなきゃ家が困るからね。」
主人は半ば命令的にこう言った。併し夜の三時にもなって若い女が酔っぱらいの男を送らねばならぬとは、どう考えても理窟にならない。
「いやですよ、あたし。」
「だって送ってくれなきゃ困るよ。」
「あたしも困るわ、こんな度外れに遅くなってから。」
登恵子は飽くまでも拒絶しようと思ったが、結局はコックが尾行することにして無理強いに主人の威光で承知させられて了った。と、かんかんに凍た氷の街を乾風にさ
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