洞の部屋の隅に二つ体をくッつけて顫えていた。散らばった麦を拾い終ると、彼は箒をとって一ペん其処を掃いた。そして紙屑籠に草を敷いてモルモットを入れ、これを枕許に置いてやすんだ。
 翌日、彼が階下の裏でモルモットの箱を作っていると妻が戻って来た。そして彼女はいきなり不機嫌に良人を呶鳴った。
「あなたは、のんきそうに一体なにをしているの!」
「モルモットの箱だ。」彼はおとなしく答えた。
「あんな鼠なんかに、そんな凝った小舎を拵えてやることないわよ。昨夜なんかわたしが何時まで待っていても、何処へ行って了ったのかちょっとも帰って来ないんだもの。そのうえ昨夜と来たら、悪い客に許り当って一厘にもならないので癪にさわって癪にさわって仕様が無い。」
 彼女はブリブリし乍ら二階へあがって行った。
「モルをいじめるなよ。」彼はあとから声をかけて彼女をたしなめた。
 暫くすると動物の小舎が出来あがった。一尺立方くらいな箱に抽斗《ひきだし》をつけて網を張り、その網の間からおしっこや糞《ふん》が抽斗の中へ洩れて何時も清潔な処に動物がいるように考案した鳥籠風な小舎。彼がそれを持って二階へあがると、彼女はまたヒステリーを爆発させた。
「こんなに貧乏な目しているのに、あなたは何と思ってそんな世話のやける動物なんか買って来たのよ? わたしがいやな思いして月末の間代に階下《した》へ恥かかんようにと気をもんで稼ぎためた大事のお金を、こんな鼠小舎なんか作るための材料代に遣われてはたまらないわ、ほんとうに。」
「たったお前、三十五銭の板一枚かって来た丈けじゃないか……。」
「それだって、もう五六銭だせばお米が一升かえるじゃないの。」
「やかましく言ってくれるな、今に俺だって適当な仕事さえ見つかれば働くよ。」
「わたし、癪にさわるからこんな鼠なんか殺して了ってやろう……。」
 彼女はこう言い乍ら、彼が紙屑籠の仮小舎から新たに作った箱の中へモルモットを移そうとしているところを、屑籠もろとも矢庭に其処へひっくり返して小さな動物を蹴ちらかした。するとモルモットはキュウキュウと悲鳴を挙げて二ひきがもつれ合い乍ら辺りを逃げまどうのであった。けれども彼女の昂奮がややさめてから怯えているものを再び拾いあげていたわりつつ、新調した衛生的な家の中へ入れて潰し麦を与えると、けものは大分なれた如くグルグル、グルグルッと喉を鳴らして食い振りよく餌さを食べ出した。
 彼女は、何時しか夜ふかしを補うための昼眠におちいって了った。と、彼はお午すこし前に妻を起さぬようそっと餉台を出し、沸しざましをかけて独り冷や飯をかき込んだ。
 モルモットはだんだん馴ついて来た。潰し麦や菜っ葉などの餌さを遣るとき、箱の内から小さな頸を長くのばしてはその下の方についた可愛いおちょま口を仰向けて、二ひきが早く呉れとせがむのであった。そして押入の襖をあけては麦を出し、前の障子を開いては菜っ葉を取ってやる事を何時の間にか覚えて了って、それ等の戸をあける音がするとさえ急いで箱を飛び出して来、人の着物の裾にまつわりついた。また、二三度畳の上へおしっこをしたので尻を叩いて叱ってやったら、何時とはなしにそれも覚え込んだのであろう自分の小舎以外では糞便をしなくなった。
「モルちゃんはいい仔だねえ、おしっこすること覚えたの? かしこいかしこい、お前はかしこいよ。」
 妻は機嫌のいい時こんなに言って、小さな動物に頬ずりした。
「あなた、まあちょっとモルやを見てやって頂戴よ。あんな小さなものが、まるで牛のように横んなって寝てるわ。」
「そいつ、こ飯も食べるよ。」
「全く何ともたとえようのない可愛い動物だわねえ。」
 彼女はしごく機嫌がよかった。で、彼は――モルモットを飼ったことが、すくなくとも失敗ではなかった――とよろこんだ。
 彼は生活苦を忘れて、二ひきのモルモットをわが子のように思った。彼女もまたそうだった。小さな動物は、朝彼女が梯子段を踏んで帰って来るとキイキイキイッと大声をあげて迎えるようになった。すると彼女は、
「モルちやん、ただいま。お父うちゃんとおるす番しとったの、いい仔だねえ……。さあ、母ちゃんが抱っこしてあげよう。」と何は措いても先ずモルモットを抱いて頬ずりした。
 場末のカフェーではお看板の時間などきまって居らず、最後の客が帰ってから仕舞う故いつも午前の二時三時になって、帰り道が危険だから彼女は店に泊って来るのだった。そして朝になってから隙を見計って一度だけ家へ戻って来た。

   三

 しかし、遂に夫婦は世帯をたたまねばならぬ破目におちいった。階下の家が、移転するについて間を空け渡してくれと言った。その部屋はずっと以前には入ったので敷金が要らなかったが、新たにほかで借りるといえば間借りにまで二箇月分くらいの敷金が必要だ
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