賽の目にきつた餅と昆布とを四方の隅をひねりあげた和紙の器にいれて、畑へ持つてゆき、鍬で一寸麥畑をさくつて門松の一枝を※[#「「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている」、第4水準2−13−28]し、そこへ供へる。畑に供へるのだが、その時大聲をあげて、
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からあす、からすからす
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と山の烏を呼ぶ。
 烏は元來人を怖れぬずるい鳥であるから、不思議にこの日を覺えてゐて、山から飛んできて御馳走になる。權兵衛が種子蒔きや烏がほじくるといふナンセンス譬ひもある通り、農作物を荒す害鳥なのだが、せめて正月だけは御馳走しやうといふ昔の人のいいほどこしが、今尚ほ農のはじめの鍬入りの日に行はれるのだ。

        ななくさがゆ

 正月七日粥をつくる。七種を混じたる粥で米、粟、黍子、稗子、胡麻子、小豆でつくるのが正式らしいがこの邊では野菜を多く入れる。
 冬菜、芋、大根、米などでつくり、七いろはいれない。その菜や大根を刻む時
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七くさ なづな
唐土の 鳥が
渡らぬ 先に
ストトン、トントン
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と唄つて、調子をとりながら陽氣につくる。この唄は實に庖丁のリズムにあつてゐる。この昔からの唄も次第に忘れられてしまひさうだ。唐土の鳥とはなにを意味するのであらうか。餅なのでお腹の具合がわるくなつてゐる時、この粥は健康上にもいいわけだ。白粥の中に入つてゐる青菜は、青いもののない眞冬時であれば、更に新鮮で初々しい。

        鳥追ひ

 楮の殼を焚いて鳥追ひの唄を歌ふ行事は、十四日である。
 總選擧などになると茨城縣の「西の内」紙が他府縣から夥しく注文される。「西の内」は楮の皮からつくる手すき[#「すき」に丸傍点]の和紙で、裂かうとしても破れぬ程強靱であるし、透しても裏から字が見えぬから、選擧用紙に適當なのであらう。
 義公であつたか烈公であつたか、御殿女中が紙をそまつに取扱ふのを見て、紙すき女たちが、寒中川で紙すきをする辛さを見せた話は、たしか修身教科書にもあつたと思ふ。
 その楮の皮を剥くのは子供達だ。楮の殼をためて鳥追ひの晩に焚くためである。十二月になると各家々では畑から楮を刈つて束にし、大釜にこしき[#「こしき」に丸傍点]を入れて蒸す。松薪をどんどん焚いて。
 今日はどこ/\の楮むきだとなると
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