會し、船亦奪はる。六日西岡等四百人は大船戸から田船はんきりに乘りて延方にのがれ出た。この間水路七八町に足らず、泳いでも渡り得る程だつたが、追討軍に聯絡が無かつたので、うま/\と脱出した。
四百人は霞浦を横斷する船が無いので、岸傳へに敵地を踏まねばならず、鼎の輕重はすでに問はれてゐる。六日から七日八日九日と、鹿島行方二郡の農民は殘黨を狩り立つる犬となつて、詰り/\へ槍を入れ鐵砲を打込み、いやしくも生けるは捕へて、下生村石橋の杭打場にて斬殺し、首は悉く野捨にした。
四百人の内、川俣茂七郎等八十人はおくれて鹿島を出たが、海陸すでに道なく、或は水に入りて死し、或は自刄し、運のいゝ者だけが潮來にのがれた。
七日朝五、行方の船子《ふなこ》村へ逃げこんだ十一人は、忠兵衞といふ百姓を脅迫して五丁田から田舟《たぶね》を出させ、霞浦も三又近くのがれた處へ、小笠原某小舟數艘にて追駈け、鐵砲をぶちかけた。十一人はまづ忠兵衛を切殺して後水に入る者九人、甲冑の士二人は舟に殘りてさしちがひて果てた。ほの/″\と明け渡る湖上の悲劇である。映畫にもつて來いの場面ではないか。
八日、あと一足で下野に入らうとする
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