かりでしらべたのであらうから信否は保留したい。若しかしたら古い塚か墓の中へ十二人を投げこんだのではあるまいか。
宇都宮左衛門は戸田彈正ともいつた。宇都宮藩主戸田侯の一族で、水野主馬同樣人質としてとりこめられてゐたのだとも傳へる。とにかく筑波客將の末路は俵に首を詰めた悲劇が大團圓である。
珂北を荒し廻つて、鯉淵農兵に狩り立てられ、逃げて八溝山中に入つた田中愿藏の一隊は、食物のありよう筈はないから、一人二人と山を下りて捕へられ、愿藏亦捕へられた。女の着物を着てゐた。部下六十人、中には十三十四の少年もゐた。後手に縛られたまゝ倉へ押籠められ、水もめしもくれず。ひよろ/\になるのを待つて斬つた。磐城國塙での事だ。
愿藏は辭世を書く間手を緩めてくれと願つたが、きかれない。よんどころなく筆を口にくはへて絶命の辭を殘した。愿藏等六十人を斬つた男は死體を懇ろに葬つてさゝやかな石を建てた。二三年前、史蹟保存の意味で其事を書いて大きな石を建てた特志の人がある。名は金澤春友。
私の知る限りでは天狗は例外なしに馬捨場へ捨てられてゐる。棺も無く槨も無い。大勢だと大きな穴を掘つて、蓆に卷いたまゝの尸を轉
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