びつけ、「[#底本は「「」が欠け]横濱征伐に先掛致しくれと申す譯にはこれ無く此《この》方共身命を抛ちて征伐致候間、かはりに其方共二枚着る着物も一枚着て、金子用立てよ」といひつける。いやとはいへない。出張して來るのは少し荒つぽい。
「二十七日高橋上總大將にて二三十人|石下《いしげ》村へ參り、ひの屋竹村茂右衛門方へ入込、土藏を改め、三百俵有之、百俵は飯米に殘し二百俵献納すべき旨申聞、それより鈴木平右衛門方へ參り候處、主人留守にて分り兼候趣申立、手代並妻女を縛りあげ大道にひき据ゑ放火すべく、鐵砲の火繩にて古傘十本ばかりとり寄せ火をふきつけ、今にも燒棄になるべき樣子に驚き、三百兩献納」中山氏見聞記[#「中山氏見聞記」は割り注]燒かれようとした鈴木氏は今町長、現主は私の從弟に當る。
 高橋上總は前に私の家に居たことあり、筑波の近間《ちかま》では何村の誰が金持か位は知つてゐたので、出かけて來たのであらう。下總國沼森八幡の別當だつたが、素行はよくなかつた。鬼怒川西の川尻では中山忠藏方におし入り拔身を下げてこは談判中、壬生の勢が來ると聞いて[#「來ると聞いて」は、底本では「來る聞といて」]、曳いて來た馬にも乘らずにころび/\長塚の渡しまで來ると船が無い。うしろには聲《とき》、前は川。夕暗迫る河原の上を犬のやうに這つて脱れた。壬生鳥居氏の手兵は閧の天狗のにがてだつた。鯉淵《こひぶち》勢には一度も勝てなかつた天狗だが、壬生にも始終痛めつけられた。
 徴發され強奪された金額は、酒井清兵衛の千四百兩を最とし、酒井長右衛門の七百兩、五木田利兵衛の二百七十兩、横瀬忠右衛門の二百兩等等、山南山北、凡そ名ある豪農富商にしていたぶられざるはなく、殊に酒井氏は邸宅まで灰にされて、また起つ能はず、今は家人のありかを知る者すら無い。
 筑波軍の金策は六月末から、野火の燃えるやうに廣がつて行つた。筑波近くは勿論、下總は豊田、岡田、相馬、埴生の各郡から、常陸は土浦、石岡、鹿島、行方から、飛んで佐原銚子の邊まで、村村《むらむら》、町町《まちまち》、土地によりては同じ村の同じ人に、二所から呼出しのかゝることあり。信《し》太郎木原へ、吉田と名のつて乘込んだ天狗は二千兩ほど掻き集めた處へ、水戸領田伏の浪人宿から呼出しあり、吉田は似せ者と分つた。似せ天か本天かわからぬやつにまで引つたくられるのだからいゝ面の皮だ。天狗の
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