春
横瀬夜雨
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている」、第4水準2−13−28]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例))ぬる/\した
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露じもの降りる朝もあるにはあるが、木の芽稍ふくらんで暖かい日和の續く三月。常磐木ならでは野に青い物は無い。軒の下などに霜げ殘りの坊子泣かし[#「坊子泣かし」に傍点]だけが去年からの命を青く保つてゐる。まだ有る。戸袋の脇に誰かが厄病除にぶら下げたにんにく[#「にんにく」に傍点]から延び出した青い芽。かうして太陽は南方から回つて來るのだ。
ひる過ぎ、學校から戻つた子供達の鞄からいろんな物がのぞいてゐる。お彈きのガラス玉、積細工の人形の首、空氣枕のネヂ、コードの切れなど。何處で摘んだかまだ咲き切らぬやぶ蘭の花も交つてゐる。
やぶ蘭は子供の誰もがをかしがる。ひらくと、男の物、女の物の格好そつくりになるからだ。ぢぢばば[#「ぢぢばば」に傍点]と呼んでゐる。色がまた變なのだ。たちの惡い子供は、花と花とをおつつけ合つて、爺さん婆さんが寢てるんだとはやす。親達はめん喰ふ。
山の春の期待に澱みなくふくらんでゐる、裸の木で春早く囀るは四十雀だ。常陸野は明るい。筑波は近く富士は遠く、筑波の煙は紫に、富士の雪は白い。風はあつても、枝々をやんわり撫でて行くに過ぎぬ。
林の中には斧の音。春は木の伐時なのだ。
かうした時、林のすみから拔かれて來たやぶ蘭の莟を見て、心はたのしく春のことぶれを祝ふ。
アネモネに似た花に翁草がある。野生の草だが、一寸猫柳に似た天鵝絨のやうな銀いろの軟毛につつまれた、アネモネよりは厚ぼつたい感じだ。花びらのやうに見える濃紫の美しい六枚の萼。やがて雌ずゐが延びると、羽毛状の痩せた果が群がり生る。其形が白髮に似てるので翁草といふらしいが、常陸ではおちごかんぱ[#「おちごかんぱ」に傍点]といつてゐる。稚兒の頭に見立てた名であらう。かんぱは禿の義。實が入るとたんぽぽ[#「たんぽぽ」に傍点]のおばはん[#「おばは」に傍点]のやうに、少しの風にも飛び出す。女の子は實のいらぬ前に採つて來て、毛を二つ
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