たら天才は縮んでしまつた。
 平塚白百合さんは藤澤に入らしたので、會へは出なかつたが、春になつて令弟と一しよに筑波の西へ來られた。夫君は今を時めく勅任官であるから、お茶を召上るにもお箸を執るにも小笠原が離れず。夜、奧の間へ寢に入らしたあとを、妻が茶道具をかたつけて引き取らうとしたら、平塚さんはまだ帶さへ解かずに襖のかげに手を附いて待つてゐた。妻はすつかり參つて、肩のこりが三日も取れなかつた。
 それから十日ほどたつてからだつた。板倉鳥子さんが古河から自動車を飛ばしてはじめて常陸へ來た。華族は違つたものだと冷かすと、あひ變らずお口が惡いのねとは答へたが、歸りは百合子を負ぶつた妻と停車場まで歩いて往つた。私が鳥子さんを知つたのは滿十四歳の時からで、新聞に散見する熟字や成語の意味を聞かれて教へてあげた頃から數へると、隨分久しいものである。長塚節が「まくらがの古河のひめ桃ふふめるをいまだ見ねども我れ戀ひにけり」をよんでからも十何年か經てゐる。
 前代議士岩崎惣十郎氏令孃うた子君も醫學士夫人として神田に居るから、ひよつとすると來てゐるかも知れぬと、弟に探させたけれど見えなかつた。板倉鳥子さんが邦
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