主婦としてこの世に在るやうにお思ひ遊ばして居られるやうでございますが、K・Rは今地下に靜に眠つてをります。Rさんは酒田のH家のやゝ遠い親戚として其H家を檀家に持つ大きいお寺の末の娘に生れました。ほんとに箸より重い物を持たない位にしてはぐくまれたのでした。けれど、Rさんは小さい時から寂しい人でした。私とは一つちがひのいとこで、家もすぐ近くで學校さへ一年ちがひの身でゐながら、十四で早くも詩集を手にして校庭の松蔭で寂しさうに考へ深さうに讀み耽つてゐるRちやんと、ラケツト手に飛びまはるおてんばの私とは、しつくりしませんでしたが、女子文壇へ盛んに投書したのは女學校を卒業する十七の春ごろからで、十八の秋『見知らぬ人に添ふ』と淋しみながら若い人妻となつて轉々しました。三人の子の母となつて幸福に暮しましたけれど、四人目の姙娠中再び起ちがたき病に罹り、人工流産をすゝめられながら、母の偉大な愛からそれを厭つて遂に三年前小さき者を生むと其まゝ、小さき者と共に逝きました。
ほんとに美しい神經質の人で、背は低うございましたけれど、美しい眉、そして考へふかさうな瞳など、思ひ出しては涙なしではゐられません。
殘る子供達は、酒田に平和に暮して居ります。
文學好の美しい從妹に感化されて、あの北の暗いしめやかな町に横瀬夜雨樣の詩に泣きつゝいつまでもいつまでも廣い本堂により添つてゐた二人の少女、今沁み沁みと偲んで居ります。春風秋雨、いく年か經て人皆變はりました。
[#地から3字上げ]大阪 M・K
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「春風秋雨、いく年か經て人皆かはりました」變つたのは私ばかりでは無かつた。
 河井さんはRの死を知らなかつた。『何時だつたか、火のやうな字で、どうしていゝんだか分らぬ苦悶を訴へて來たが、僕だつて仕やうが無いから、それなり捨てゝ置いた。今なら何とか考へてもやれたし、慰めてもやれたんだがね』
 Rは常陸に來た時、宿命を説いて、『わたしのやうな人間が軍人に嫁いだのも仕かたが無かつたのですから、あなたが忍從の世を送らねばならぬ事もあきらめてください。お母さんのお亡くなりになつたあとはお姉さんにお世話になる積りで』と泣いた。生死ふたつながら夢である。
 渡瀬淳子(澤田正二郎の先妻)と星ヶ岡で踊つた江森美子さんが、もとの家に居られたのは意外だつた。他の人々の轉々定めなさに比べては珍らしく思はれる。
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