あつた。其ところが疵になつてゐる。太らぬのは其せゐではあるまい。
桃栗三年柿八年といふが、桃は白桃がある、何年目から生つたか忘れたが、生つても、石のやうで一つも喰へぬ。柿は衣紋八彌百匁御所といろ/\あるが、皆若い。栗は十年しか持たない。二年目には鐵砲蟲につかれるのだ。退治すればいゝのだけれど、女ばかりの家では梯子をかけても上れず、枯れるそばから新しく播いて、子供らにさびしい思ひをさせぬやうにしてゐる。大きな丹波栗がある、これは生つた實の十中八は蟲につかれる。そのかはり枝もたわゝに累々と生り下る光景は見事だ。支那栗も三本ある。生りはじめたばかりだから、傳へられるやうにやがて俵に詰める程多量に落ちるかどうか。粒は小さい。
明治三十五年に大演習があつて、うちへは二十四頭の馬が泊つた。その時生えたばかりの頭を馬にくはれた栗の木があり、それからまた伸びたけれど實が生らず、五年たつても十年たつても生らない。この木に限つて小豆粒大の油蟲が木|肌《はだ》一面にたかる。鐵砲蟲が入らぬ樣子なので實はならなくても木が採れゝばと捨てゝおいたら、去年から七つ八つ生りはじめた。素ばらしい大きさだ。子供らの喜びたら無い。
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はじめて生つた栗の毬
昨日は一人で來て見たが
昨日もやつぱり青い毬
風がゆすれば落ちるよと
ママは私をだましたが
風は立つても青い毬
私の五つでまいた栗
栗は今年で三年目
なぜなぜ今日の青い毬
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梅は豊後梅。よく村の子供にねらはれる。三千坪程の中に六十五戸の家敷が構へてあるので、生り物の木を植ゑとく家はいくらもない。私の家には路を隔てゝ向ふかはに前屋敷があり、梅はそこにある。垣根はあるのだが、村の子供らには鐵條網だつてかなはない。青いうちからむぐりこんで取つてしまふ。帶廣の町に勤めてゐる兄は、大連の弟夫婦が子供らを連れて客に來た時、すつかり降參して「大連の馬賊」と呼んでゐた。私も年々村の馬賊に弱らされる。といふのは前いつた向屋敷には孟宗が植ゑてあつて、春になると筍が出る。其筍を出るそばから頭をむしつて取つてしまふのだ。何にするかといへば、竹の皮で梅ぼしをつゝんでちゆちゆ[#「ちゆちゆ」に傍点]とすゝるのである。すゝつてゐる内に皮がべにで染めたやうになる。子供らはそれが嬉しくて群をなして孟宗林に闖入するのだ。どんなにか
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