は常陸の野《やら》にして
風に吹かるゝ身なるもの

白日《まひる》の光かくれたる
石の柩の底深う

夕の影に伴ひて
人はくらきにかくれけり


  獨木舟


雲ならでかよふものなき
石狩のみ岳の奧に
錦なすかつら閉して
谷々は紅葉しにけり

霧の海に森の島浮き
島の森を霧またこめて
大瀧や雨龍《うりう》に落つる
石多き川の面白し

洞《ほら》の上に霜はおけども
野に迷ふ熊はかへらず
白柳《どろやなぎ》の枝を綰《わが》ねて
弓弦《ゆづる》ならす愛奴《あいぬ》も見ぬに

金風《あきかぜ》の渡らふ川に
空高みひとりし立てば
枯芦《かれあし》の鳴るは汀か
霧晴れて船の跡なき

夜の水に瞳輝く
川獺の猛きはすめど
斷崖《きりきし》の迫れるふちに
妹がかざす珠も沈きて

雨に曝《さ》れて白《しら》める岩の
岩蔭に『火《ひ》の珠《たま》』さきぬ
俤は浪にくづれつ
花片は霜にいためり

太古《いにしへ》より煙のぼらね
此山の良木《よきき》ゑらびて
妻籠《つまごめ》に臺《うてな》建《た》てんか
八重垣の森に聳ゆる

落葉たく萱屋が軒に
新妻のはしきは籠めじ
思ひ出の花無き里は
紅の袂ぬれなん

月朧《つきおぼろ》擧羽《あげは》の海《うみ》の
陽炎《かげろふ》は夢ときえしを
閨の戸に櫻ゑがいて
山翠《やませみ》は籠にかふべく

裡《うち》にしてさゝやき交す
窓懸の絹の薄きに
朝朗明《あさぼらけ》流るゝ星の
碧《あを》きをか寫し留めむ

棹《さを》さし上る獨木船《まるきぶね》
路は遠し百七十里
歸らぬ水に枕重ねて
秋となりぬる旅路哉

石狩岳の麓より
流れて落る大川の
下つ瀬遙かにたなびく雲は
明くればみ岳の腰をめぐりて

浪|際《はてし》無き津輕灘
海門《うみのと》近く櫂《かい》行《や》るも
炎ひらめく宇曾利山《うそりやま》
見ゆるは奧《おく》の煙のみ

光さやけき黄金《わうごん》の
月を浮ぶる那智《なち》の海
北の島根に遠《さ》かり來て
迷ふと憂しやたゞ一人

我に梓《あづさ》の弓あらば
白羽の征矢《そや》を手挾みて
殘んの星の影白む
岩見の澤に鳥狩《とがり》せむ

雨はね反《かへ》す※[#「肄」の「聿」に代えて「欠」、第3水準1−86−31]冬《ふき》の葉を
※[#「舟+少」、157−下−7]《かひろ》ぐ船におほひては
手捕《てどり》にすべき鱒の子の
淺瀬の水にをどれども

潛龍沙魚《てふざめ》追うて遡れば
川狹うして楡《にれ》の木を
驚き立つか嘴長く
羽翠なる水鳥の

浪湧き囘る瀧壺に
夕ばえさして虹立てば
瀧の面《おもて》にわが影の
紫金《しこん》の色と映るなり

紫菫匂ふ野の
胡蝶は花に醉ひしのみ
紀路《きぢ》に遍《あまね》き金風《あきかぜ》に
破《や》れし翼をかへさねど

醉へば手馴し横笛を
空知の月にしらべつゝ
さめては暗き夕張の
猿飛ぶ岳に咽ぶか

宗谷《きた》の岬に浪立てば
天鹽の雲も凍るらむ
五つの指の龜《かぢ》けては
棹執るにすら力無き

猿間《さるま》の海の水に鳴く
雎鳩の聲は聞かねども
小衾冴ゆる曉を
今は昔の夢戀し

歸らんか南海《ふるさと》に
歸れば峰に雪は無く
歸れば川に花流る
歸らんか紀《き》の海に

黒き狐の裘《かはごろも》
肩の紕《まよひ》は任他《さもあらばあれ》
下には離《か》れし憂人《うきひと》の
縫ひける衣《きぬ》を纏《まと》ひたり

雪まだ降らぬ石狩の
山にも野にも風吹きて
地《つち》に動くは雲の影
天《あめ》に映るは草の色
  〜〜〜〜〜〜〜


  天なる光


光は沖にあらはれて
闇は海より退《しぞ》きけり
星まだ殘る北の海の
浪は碧《みどり》に騷ぐらむ

南の丘に蝶飛んで
薔薇の花の匂ふ時
湧きもめぐらふ新潮に
島は輝き見ゆるかな

尾上の櫻野の霞
花の帷《とばり》の中絶えて
火の環《わ》かざれる秀《ほ》つ峰の
朝の空に立つ見れば

靈嶽《くしぶるたけ》の頂に
虹の七重は踏まねども
仰げば額《ぬか》に天《あめ》なる
光の添はる心地して


  人故妻を逐はれて


水の上飛ぶかげろふの
羽を※[#「魚+完」、第4水準2−93−48]《やまめ》の透かし視て
尾上の花や散りくると
ひれ振り尾振り跳るらむ

雲のはたてに月|沒《い》りて
沼に光の消えにけり
濕れる棹を手にすれど
さすは※[#「木+世」、第3水準1−85−56]無き藻苅舟

月波に燃ゆる紅の
八雲は山の陰毎に
殘れる夜の雲染めて
二つの峰は清らなり

堤は低し木は荒し
西北《いぬい》に亘る山浪の
黒髮山に誰妻の
うす絹|被《かづ》く眉にせむ

朝《あした》たなびく夏霞
不二は夏より見ゆるてふ
沼の半に漂ひて
霞にきらふ船路かな

菱の實落つる沼なれば
白羽の鳥も翔るなり
羨ましきは羽すりて
雌雄共に棲む白鳥よ

船の動くにつと迯げて
葦間の杙に鳴き交す
鳥には輕き羽あれば
さしまねけども寄らずして

憎しとも思ふ浪の上の
鳥の如くにいたはりし
人はわが家を去りて後
寂しき秋となりにけり

朝髮梳る床の上
眉根|粧《つくら》ふ閨の裡
袂にくゝる八房の
若紫の色も濃く

雨降る夕、わが前に
裁縫《はぬい》をすとていねむりて
廣くとりたる前髮を
机にあてゝ壞せしも

頬に突くかゞち、知らぬ間に
鳴らさむとして覺られて
笹紅匂ふ唇に
ふたゝび珠を返せしも

人故妻を逐はれて
知るは二人の涙のみ
(羨ましきは羽すりて
雌雄共に棲む白鳥よ)

美しき物、はなたじと
握りし鳥は奪はれぬ

人故妻を逐はれて
さめぬ白日《まひる》の夢に耄《ほ》れ
雲流れ行く東路に
何しに來ぬる我ならむ

松稀にして榛多き
常陸は山も高からず
(菱の實《み》おつる沼なれば
白羽の鳥も翔るなり)

ぬなはの若芽掻きよせて
摘めども船の慰まで

思へば鳥の逐はるゝも
逐はれて草に隱るゝも
大路を過ぐる花車
少女は花の小車か

さす手にひらく春の花
ひく手に飜《かへ》る秋の波
灯影ゆらめく細殿に
扇《あふぎ》飜《かへせ》し舞姫と――

伊賀より落つる木津川の
石皆圓き川の上
雪と漲る浪の戸に
赤裳かゝげて立ちたると――

西京《みやこ》に近き荒寺の
崩《やれ》し築土《ついぢ》に身を寄せて
森の公孫樹《いてふ》に落る日の
光に泣きし尼君も――

燈籠舊りし石階《きざはし》を
鹿に恐れて驅け上り
紅潮しゝ頬の色の
花の如くに光《て》りたると――

人は往けり還りけり
とゞろと渡る花車
蜘手の道の遠くして
のこるは暗き花の影

野守の鏡
  面銹びて
形象《かたち》を落す
  雲も無し

還らぬ人の
  一人にのみ
神は戀ふるを
  許せども


  葭原雀
[#ここから4字下げ]
鬼怒川に近き小村に、母のゆかりを尋ねて、さすらひ來しポルチカル人の孤兒あり、夕ぐれ其門を過りて
[#ここで字下げ終わり]


夕靜けき菅生野《すがふの》を
たなびきかくす旗雲の
紅きを見てはしかすがに
もろき涙も落しけむ

千重敷《ちへしく》浪《なみ》に漂ひて
眞舵《まかぢ》しゞぬき漕がんとも
テグスの川に入らんには
餘りに遠き旅なれば

有明の月の消えかゝる
鬼奴《きぬ》の河原にさまよひて
かぎろひ燃ゆる紫尾《しを》が嶺《ね》の
峰照る星を仰ぎ見ば

空より來にし天使《みつかひ》の
翼に乘りて天國《あまぐに》に
歸りし母の俤は
花環の中にあらはれむ

腰に三重卷く綾織の
帶は結ぶに輕くとも
繪にのみ見てし矢がすりの
振の袂は馴れたりや

※[#「くさかんむり/繁」、第3水準1−91−43]《かはらよもぎ》を摘まんとて
籠を片手に獨木橋《まろきばし》
眞青《さを》なる水に陷らば
浪にや袖のなづさはむ

かざすに馴れし白ばらは
さてもあらんを花の君
肩に渦《うづま》くかち色の
髮誰がために梳る

(月さす閨に丸寢して
わが見し夢は花なりき

仄《ほのか》に宿る電の
露の命となりぬれば

心痛むる秋風に
たゞ戀しきは母なるを

都の雲を西に見て
川を常陸に越す舟の

おぼつか無しや夕闇に
棹かすむるは葭剖《よしきり》か)
  〜〜〜〜〜〜〜


  石廊崎に立ちて
    (月島丸をおもふ)


八重立つ雲の流れては
紅匂ふ曉《あけ》の空
夜すがら海に輝きし
鹹《しほ》の光も薄れけり

南に渡る鴻《おほかり》の
聲は岬に落つれども
島根ゆるがす朝潮の
瀬に飜る秋の海

牡蠣殼曝れし荒磯の
巖の高きに佇みて
沖に沈みし溺れ船
悲しきあとを眺むれば

七十五里の灘《なだ》の上
浪は白く騷げども
玉藻の下《した》に埋れし
船は浮ばずなりぬかな

戰鬪《たゝかひ》は
  終りたり
檣《ますと》も今は
  倒れたり

奔るははやき
  雲の影
響くは大海《あら》の
  浪の音

かくれし岩に
  乘り上げて
裂けし龍骨《きーる》の
  あらはなる

戰鬪《たゝかひ》は
  終りけり
嵐の聲を
  名殘にて

霧のまがひに
  ひらめきし
白帆も旗も
  やぶれては

夕やみ迫る
  海の上に
『のろし』の色の
  力《ちから》なき

見よ空を蹴《け》る
  荒浪に
船は覆《かへ》りて
  渦《うづ》ぞ卷く

渦卷く中に
  漂ふは
最後《をはり》の影か
  泡沫《うたかた》か

朝《あした》巖手《いはて》の山の上に
蕪菁《かぶ》虹《にじ》立つを夢にして
夕《ゆうべ》、鹿島《かしま》の沖合に
根浪《ねなみ》の湧くを見つらんに

花もて飾る墳墓《おくつき》の
小《ち》さきを野べに遺《のこ》さずして
水づく屍は紅の
珊瑚《さんご》の礁《いは》に沈みたり

八洲《やしま》を環《めぐ》る大瀛《おほわだ》の
浪に生れし男《を》の子とて
秋風渡る伊豆の海に
はしき骸をさらしたりけむ


  彌生子に
    (醉茗がいとし兒に)


煙に似たる花咲いて
土橋《どばし》に白き烏瓜《からすうり》
匂へる花を彌生子《やよひこ》の
産毛《うぶけ》の髮にかざゝまし

山の西よりおく霜に
やがては瓜の染まる時
紅きを割りて彌生子の
櫻色なる頬《ほ》にぬらむ

種子《たね》を常陸の野にとりて
都に移《うつ》せ烏瓜
春に生れし彌生子の
花なる袖に纏《まと》ふべく
  〜〜〜〜〜〜〜


  沈める星
    (子を失ひし人に)


花は根になる春の暮
かへらぬ吾子《あこ》の魂《たましひ》を
櫻が下の墓《おくつき》に
呼びし涙は乾かじな

朝明《あさけ》の名殘みだれたる
ちぬの浦曲の虚舟《おぼろぶね》
沈める星の光《かげ》見れば
思ひよ空にさわぐらむ

靜かにそゝぐ水にすら
地《つち》ぬらさじと心して
葬りにけむ春くれて
山時鳥鳴かんとす

白露しげき秋の夜は
軒《のき》の褄《つま》なる燈籠の
淡《あは》き光に誘はれて
おもかげにして歸らんに

なれし添寢の手枕に
生《い》けりと見しは夢にして
柔肌《やははだ》凍《こほ》る地の下の
暗きに吾子はかくれたり
  〜〜〜〜〜〜〜


  やまめとり
    (女)


曉の夢を落《おと》して
白雲の衾|被《かづ》きて
一夜さは關路に睡れ
旅ながら君も少女の

玉匣箱根の谷に
※[#「魚+完」、第4水準2−93−48]《やまめ》捕るわれは賤の子
早川の水上遠く
木賀にこそ秋はたけたれ

白玉の沈《しづ》く淺瀬に
かゝぐれど褄はぬれつゝ
春風に散るや前髮
わきばさむ畚《ふご》の重きに

相摸の海月は通ふも
高殿に琴なしらべそ
夢にして偸《ぬす》みも聽かば
君により睫《まつげ》しめらむ

水色の袖の長きを
飜《か》へす手に指輪きらめき
胸高に帶を結べば
歩むにも花のこぼれむ

行く水に散浮く花の
悲きは花の行方か
そよわれと都大路に
銀の鞭も振りしを

行く水に散浮花の
いつまでか面《おもわ》輝く
うすものに伽羅を※[#「火+主」、第3水準1−87−40]きしめ
唇に紅はさせども

行く水に散浮花の
花なれや匂むなしき

溺れんか淵に水あり
碎けんか河原の石に

辛かりし夢よりさめて
幻の雲にかくれん

葦の海に影さす月も
秋よりや光澄むらむ

春日野の白き葉は
さながらに君の色なれ


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