家に伺たことも五六度はありましよう。東京の下宿にも兩三度は來られたやうに思ひます。君の性情は醇粹の極で、生れ落ちたまゝ何の汚れにも染つてをりません。君と對てをる間が一日ならば一日の清風が吹く、君と眠てをるひまが一夜ならば一夜の明月が照らす。私も雜多《いろん》な人と交《つきあつ》て見ましたが、君の如く純潔な人は殆んど類を絶してをる。之はわれ/\同人間の誇りであります。君の家は舊家の末だけに自然大風な所があつて、界隈の人が尊敬の中心と成てをります。父君は現に名譽村長の職に居らるゝとの事です。母君は情に深く意志に強よき女性で、夜間は燈火の下に愛兒の詩を繙かるゝのを見受けました。母君は全く君にとつて守護の女神で、行住起臥其子に對する心配ひは側から見て居てさへも慈母の恩愛が染々と有難く感ぜられました。弟達は皆々剛健朴茂の好少年、兄君をとりかこんでめい/\好きな遊戯をしてをられました。親戚故舊は垣一重道一筋、重い足にもさして困難でない程の距離《へだたり》、殊に新宅の小父さまは快活洒落の人で、四十年前の四國遍路のごときは面白くきいた旅行談の一つでありました。君の家庭を見るため左の一節を書簡中から拔粹する。
[#ここから1字下げ]
宅では親類から來てゐる書生共に四人の勉強家が揃うてゐるから、大分にぎやかである。順君は來年士官學校に入る積だ相でよくもやる、孝先生(順孝兩君共に令弟)は書に倦むと笛を吹く。
夜になると四人は次の間に引こんだ切りねる迄出てこぬ。廣間の主人公は母で、爺と太郎とおはつとお才と燈火を圍んで糸をつむぐ、車をまはす、なか/\こゝもにぎあふ。僕も宵のうちはこの中の間でお才に手傳つて紬の糸をひくこともある。おばアさんは下總へ行つてもう一月になる。
[#ここで字下げ終わり]
小貝川は村端れから一二丁のところです。新川と古川との間に島がある。一面豐腴の畠地でこれから筑波山は手のひらで撫でゝ見たい位、日に七度かはるといふ紫も鮮かに數へられます。夕景に成て空が澄み渡ると、金星のかゞやく下に幻影《まぼろし》のやうな不二が浮びます。夏の消息に、
[#ここから1字下げ]
こないだ僕弟につれられて辨才の堰へ釣に行つたが、カン/\とてりつける日の下にゐてもあついとは思はなかつた。フナは面白いやうにかゝるし、稻の葉はさら/\と鳴つて、一望たゞ青き野中に立つたのです。雲の多い風のすこし強い
前へ
次へ
全26ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横瀬 夜雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング