なに沢山橇がいるんかね。」
 イワンが云った。
「それゃいるとも。――兵たいはみんな一人一人服も着るし、飯も食うしさ……。」
 商人は、ペーターが持っている二台の橇を聯隊の用に使おうとしているのであった。金はいくらでも出す、そう彼は持ちかけた。
 ペーターは、日本軍に好意を持っていなかった。のみならず、憎悪と反感とを抱いていた。彼は、日本人のために理由なしに家宅捜索をせられたことがあった。また、金は払うと云いつつ、当然のように、仔をはらんでいる豚を徴発して行かれたことがあった。畑は荒された。いつ自分達の傍《そば》で戦争をして、流れだまがとんで来るかしれなかった。彼は用事もないのに、わざわざシベリアへやって来た日本人を呪《のろ》っていた。
 商人は、聯隊からの命令で、百姓の家へ用たしに行くたびに、彼等が抱いている日本人への反感を、些細《ささい》な行為の上にも見てとった。ある者は露骨にそれを現わした。しかし、それは極く少数だった。たいていは、反感らしい反感を口に表わさず、別の理由で金を出してもこちらの要求に応じようとはしなかった。蹄鉄の釘がゆるんでいるとか、馬が風邪を引いているとか。けれども、相手の心根を読んで掛引をすることばかりを考えている商人は、すぐ、その胸の中を見ぬいた。そしてそれに応じるような段取りで話をすすめた。彼は戦争をすることなどは全然秘密にしていた。
 十五分ばかりして、彼は、二人の息子を馭者にして、ペーターが、二台の橇を聯隊へやることを承諾さした。
「よし、それじゃ、すぐ支度《したく》をして聯隊へ行ってくれ。」彼は云った。
「一寸《ちょっと》。」とイワンが云った。「金をさきに貰《もら》いてえんだ。」
 そして、イワンは父親の顔を見た。
「何?」
 行きかけていた商人は振りかえった。
「金がほしいんだ。」
「金か……」商人は、わざと笑った。「なあ、ペーター・ヤコレウイチ、二人の若いのをのせてやりゃ、金はらくらくと儲《もうか》るじゃないか。」
 イワンは、口の中で、何かぶつぶつ呟《つぶや》きながら、防寒靴をはき、破れ汚れた毛皮の外套《がいとう》をつけた。
「戦争かもしれんて」彼は小声に云った。「打ちあいでもやりだせゃ、俺《お》れゃ勝手に逃げだしてやるんだ。」
 戸外では若い馭者が凍えていた。商人は、戸外へ出ると、
「さあ、次へやってくれ!」と元気よく云った
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