人は上ろうとして、下駄をぬぎかけると、そこには靴と立派な畳表の女下駄とが並べてあった。――園子の親達が来ているのだった。
 予備大佐はむっつりとものを云う重々しい感じの、田舎では一寸見たことのない人だった。奥さんは一見して、しっかり者だった。言葉使いがはきはきしていた。初対面の時、じいさんとばあさんとは、相手の七むずかしい口上に、どう応酬していゝか途方に暮れ、たゞ「ヘエ/\」と頭ばかり下げていた。それ以来両人は大佐を鬼門のように恐れていた。
 またしても、むずかしい挨拶をさせられた。両人は固くなって、ぺこ/\頭を下げた。
「おなかがすいたでしょう。」坐敷を立ちしなに園子が云った。
「ヘエ、いえ、大事ござんせん。」
 両人は、やっと自分達の四畳半に這い込んだ。
「うら[#「うら」に傍点]あ腹が減ったがいの。」とばあさんは隣室へ聞えないように声をひそませながら云った。
「あゝ、シンドかったな。」
 じいさんはぐったりしていた。それだのに両人は隣室にいる大佐に気がねして、長く横たわることもよくせずにちぢこまっていた。
「お前、腹がへりゃせんかよ?」
「へらいじゃ、たった焼饅頭四ツ食うただけじゃないかい!」
 暫らく両人は黙っていた。隣室の話声に耳を傾けた。
「あのし等[#「あのし等」に傍点]まだ去《い》なんのかいのう?」
「さあ、どうかしらん。」
「いんたら、うら[#「うら」に傍点]あ飯を食おうと思うて待っちょるんじゃが。」
 それでまた両人は黙りこんで耳をすました。
「やっぱり百姓の方がえい。」とばあさんはまた囁いた。
「お、なんぼ貧乏しても村に居る方がえい。」とじいさんはため息をついた。
「今から去んで日傭《ひよう》でも、小作でもするかい。どんなに汚いところじゃって、のんびり手足を伸せる方がなんぼえいやら知れん。」
 ふと、そこへ、その子の親達が帰りかけに顔を出した。じいさんとばあさんとは、不意打ちにうろたえて頭ばかり下げた。
 清三は間が悪るそうに傍に立って見ていた。
[#地から1字上げ](一九二五年九月)



底本:「黒島傳治全集 第一巻」筑摩書房
   1970(昭和45)年4月30日第1刷発行
入力:Nana ohbe
校正:林 幸雄
2004年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.a
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