である。
これらの戦争に関連した諸々の際物的流行は、周知の如く、文学作品として、歴史の批判に堪え得なかったばかりでなく、当時の心ある批評家から軽蔑された。
第三章 日清戦争に関連して
―独歩の「愛弟通信」と蘆花の「不如帰」
国木田独歩の「愛弟通信」は、さきにもちょっと触れたように、日清戦争に従軍記者として軍艦千代田に乗組んで、国民新聞にのせた、その従軍通信である。云うまでもなく、小説ではない。通信である。それだけに、空想でこしらえあげたあとはない。すべてが、彼の見聞によっている。この時代の独歩は、まだ「源をぢ」を書かないし、「武蔵野」を書かない時代の独歩だった。しかし、後年の自然主義作家としての飾気のない、ぶっきら棒な、それでいて熱情的な文章は、この通信に、既に特色を現わしている。彼は、愛国心に満ちた士官の持つ、それと同じ心臓で、運送船で敵地に送られた陸兵の上陸や、大連湾の攻撃や、威海衛の偵察、旅順攻撃、戦争中の軍艦に於ける生活、威海衛の大攻撃等を見、聞き、感じて、それを報告している。しかも、一新聞記者の無味乾燥な報告ではない。作家としての独歩の面目は、到るところに発揮されて、当時の海戦と艦上生活の有様をヴィヴィットに伝え得るものがある。軍艦の水兵たちや、戦地に行った者たちが、内地からの郵便物を恐ろしく焦れ待つことは、多くの者の経験するところで、後年の文学にたび/\出てくるが、独歩は既に、そのことをこゝに書いている。また、支那の僻陬《へきすう》の地の農民たちは、日清戦争があったことも、清《しん》が明《みん》に取ってかわったことも知らずに、しかし、軍隊の略奪には恐ろしく警戒して生きている、──こういうことは、支那の奥地に這入った者のよく見受けるところであるが、これも独歩は、将校のちょっとした上陸から発見して、それを伝えている。この「愛弟通信」は、具体性に於て、際物的戦争小説の比ではない。
しかし、この時の独歩の体内に流れていた血は、明かに支配階級に属する年少気鋭の忠勇なる士官のそれと異らないものであった。だから彼は、陸兵が敵地にまんまと上陸し得たことを痛快々々! と叫び、「吾れ実に大日本帝国のために万歳を三呼せずんばあらず!」と云い得ている。だから彼は、威海衛の大攻撃を叙するにあたって熱を帯びた筆致を駆使し得ているのである。そして、彼が軍艦に乗り組んでそこでの生活を目撃しながら、その心眼に最もよく這入ったものは、士官若しくはそれ以上の人々の生活と、その愉快なことゝ、戦争の爽快さであって、下級の水兵の生活は、その関心外にあった。たゞ、僅かに水兵の石炭積みの苦痛が一行だけ述べられてある。そして、それきりだ。ある時は、水兵は、彼には壮漢と見えた。
この士官階級以上に対してしか彼の関心がむけられなかったことは、後の小説「別天地」に於ても明かに看取されるし、他の戦争以外のことを扱った小説でも、比較的後期の「竹の木戸」「二老人」等は別として、多くは支配的地位にある者に眼がむけられている。これが、自然主義作家でも田山花袋とは異なるところで、より多く、新興ブルジョアジーのイデオロギーを反映していたあとが見られる。そして、独歩自身は多く窮迫の生活をしたにかゝわらず、階級的には支配階級の立場に立っていた。その階級的制約が、水兵たち下級の生活に注意を向けることを妨げたのであろう。
「酒中日記」の如き、日清戦争後の軍人が、ひどく幅をきかした風潮を、皮肉りあてこすっている作品でも、将校はいゝのだが、下士以下が人の娘や、後家や、人妻を翫弄し堕落させるとしている。将校は営外に居住し得、妻帯し得るのに対して、下士以下兵卒は兵営に居住しなければならないし、妻を持ち得ない生活条件から、そういう結果になっていた簡単な事実が、独歩には気がつかなかったものらしい。戦死負傷についても、彼は年少士官のそれに最も多く心を動かした。多年の苦学と、前途の希望が中断されるというのがその理由である。そこにも、支配階級の立場と、当時の進取的な、いわゆる立身成功を企図したブルジョアイデオロギーの反映がある。
「愛弟通信」を読み終って、これが、新聞への通信ということに制約されたにもよるのだろうが、戦闘ばかりでなく、戦闘から戦闘への間の無為にすごすその間のこと、陸上との関係、占領した旅順や大連の風物、偵察等を書きながら、しかも、単純で、喰い足りない印象を受ける。士官の立場から物を見て書いたのでも、トルストイの「セバストポール」は、はるかに、清新に、戦争と状景が躍動して、恐ろしく深く印象に刻みつけられる。日清戦争に際して、背後の労働者階級と貧農がどんな風であったかは、この「愛弟通信」から求められ得ないが、国際的な関係の現れとしての北支那海に於ける英仏独露の軍艦の浮游が報じられてある。独歩は、それについて何等の説明も附してはいないし、或は気がつかなかったかもしれないが、今日からかえり見て想像を附加すると、既に戦後の三国干渉に到る関係が、その時から現れていたようで興味が深い。
独歩の眼に士官階級以上しか映じなかったより以上に、徳富蘆花の「不如帰」にはそれ以上、大将や中将や男爵等が主として書かれている。独歩はブルジョア的であるが、蘆花は封建的色彩がより色濃い。蘆花自身人道主義者で、クリスチャンだったが、東郷大将や乃木大将を崇拝していた。
「不如帰」には、日清戦争が背景となっている。そして、多くの上級の軍人が描かれている。黄海の海戦の描写もある。しかし、出てくる軍人も戦争の状景も、通俗小説のそれで、ひどく真実味に乏しい。それに、この一篇の主題は戦争ではなく浪子の悲劇にある。だから、ここで戦争文学として取扱うことは至当ではないが、たゞこれが当時の多くの大衆に愛誦された理由が、浪子の悲劇だけでなく、軍人がその中に書かれ、戦争が背景に取り入れられ、戦時気分に満たされていたことに存在するのを注意しなければならない。それが軍事的傾向の横溢した日清戦争から日露戦争に到る間の当時の風潮に投合したのである。一九三一年満洲事変以後、軍事的傾向と気分が復活すると、「不如帰」が改作されて映画となって、再び出現したのもまた理由のないことではない。「不如帰」については、立入る必要はあるまい。
第四章 日露戦争に関連して
─花袋の「一兵卒」、忠温の「肉弾」、龍之介の「将軍」
日清戦争当時のブルジョアジーは、既に解放される階級ではなく、支配する階級、抑圧する階級として発展しつゝあった。十年後の日露戦争になると、それはます/\発展して、戦争は××××的性質を具備した。
戦争開始前、「万朝報」によった幸徳秋水、堺利彦、黒岩涙香等は「非戦論」を戦わした。しかし、明治三十六年十月八日、露国の満洲撤兵第三期となった時、戦争はもはや到底避けられないことが明かになるや、黒岩涙香は主戦論に一変した。幸徳、堺は「万朝報」を退社し、「平民社」を創立した。そして、十一月十五日「平民新聞」第一号を発行した。これには、毎月欠かさず××の記事が掲載された。三十八年八月には、堺利彦の訳になるトルストイの日露戦争反対論が掲げられている。
かゝる事実は、この戦争が如何なる意義を持っていたかを説明する材料の一つとなり得るものであるが、当時の戦争文学には、田山花袋の「一兵卒」にも、際物的に簇出した戦争小説にも、勿論、桜井忠温の「肉弾」にもこれは反映しなかった。
田山花袋の「一兵卒」は、作者の従軍中の観察と体験とからなったものである。明治四十一年一月の「早稲田文学」に現れた、花袋の代表作の一つであろう。日露戦争の遼陽攻撃の前に於ける兵站部《へいたんぶ》あたりの後方のことを取材している。戦地へいった一人の兵卒が病気のため、遼陽攻撃が始って全軍が花々しく進撃するうちに、一人だけ苦しみながら死んで行く有様を描いて、いわゆる「自然主義風」に人生の意義を語ろうとしたものである。
作品のなかに兵卒が現れだしたのは、これよりさき大倉桃郎の「琵琶歌」にも見られるが、花袋は、もっとよく兵卒に即して、戦場を描いている。これは、日清戦争当時の独歩や蘆花が、士官若しくはそれ以上しか眼にうつらなかったのに比して、一段の進歩ということが出来る。そしてこの兵卒を書くということは、明治以後、大正、昭和の戦争文学または兵営の生活を書いた文学に、ますます多くなっている。勿論、兵卒を書くことによって、戦争を十分に描き出し得るとは云えない。将校の動きも、隊長も指揮官も、相手方の部隊の様子も、軍隊の背後に於ける国内の大衆の生活状態も、そこに於ける階級の関係も、すべて戦争と密接な切り離せない関係を持っている。が、それと共に兵卒は、背後のいろ/\な関係を集団としての自分達のなかに反映しつゝ、戦争に於ては最も重要な役割をなす。社会関係の矛盾も、資本主義が発展した段階に於て遂行する戦争とプロレタリアートとの利害の相剋も、すべてが戦線に出された兵卒に反映し凝集する。それは加熱された水のようなものである。蒸気に転化する可能性を持っている。だから、兵卒に着目したことには意義がある。
花袋は、独歩の如く、将校はいゝんだが、下士以下は不道徳で、女を堕落させるというような見方はしていない。兵卒を一個の生物的な人間として見た。そして、一個の死に直面した人間が、大きな戦争の動きのなかに病気に苦しみながら死んで行く。そこに、人生を暗示しようとした。客観的にあったことを、あったことゝして作品の上に再現しようとした。現実をあるがまゝに描くのである。結局、それも花袋の場合にあっては支配階級の階級性に制約されているのであるが、独歩がより多く、支配する立場の者に着目したのに比して、花袋は、もうすこし(ほんのすこしばかりだが)下級の者に着目した。これは「田舎教師」についてもまた見られる。しかし折角、兵卒に着目しながら、花袋は、生と死を重視する生物としての人間をそこに見て、背後の社会関係や、その矛盾の反映し凝集した兵卒は見つけ出さなかった。また、見つけようともしなかった。そこに、自然主義者としての花袋の面目もある訳だが、それだけに、戦場の戦闘開始前に於ける兵士や部隊の動きや、満洲の高梁のある曠野が、空想でない、しっかりした真実味に富んだ線の太い筆で描かれていながら、一つの戦地の断片に終って、全体としての戦争は浮びあがらない。自然主義文学に共通の特色をなす、全体的なことを書きながらも、その中の個の追求が、こゝでも主眼となっている。幾分、地主的匂いがたゞよっている。
一兵卒の死の原因にしても、長途の行軍から持病の脚気が昂進したという程度で、それ以上、その原因を深く追求しないで、主人公の恐ろしい苦しみをかきながら、作者は、ある諦めとか運命とかいうものを見つけ出そうとしている。脚気は戦地病であるが、一兵卒の死だって、もっとその原因を深く追求すれば、憤慨に値することに突きあたらざるを得ないのである。
けれども「一兵卒」は、明治以来の日本の文学に、初めて真面目に戦争に取材した小説を提供したものとして、歴史的にまず指を屈しなければならない。花袋はこの小説に於ては、その階級制に制約されながらも、他の際物的戦争小説や多くの戦争文学の作者のように、意識的には支配階級におもねっていないのである。
「一兵卒」に、戦争開始前烈しく行われた戦争に関する幸徳、堺等の議論が反映していない以上に、桜井忠温の「肉弾」には、なおそれ以上、微塵もその反映は見られない。「肉弾」は熱烈な愛国主義に貫かれている。
愛国主義は、それ自身決して不自然な感情でもないし、浅薄なものでもない。それは、「幾世紀も幾千年にも亘る祖国の存在によって固められた最も深い感情の一つである。」だが、それだけに階級の対立する社会では、最も多く支配階級に利用され得る感情である。そしてしば/\、真実の隠蔽のためにその文句が繰りかえされる。これが文学の基調をなすとき、視野の狭さと、一面性と、必要以上のこじつけのため、著しくその芸
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