浪、小栗風葉、三島霜川、徳田秋声、川上眉山、柳川春葉等も戦争小説を書いた。当時、作家に対して如何なる意識が要求せられたか、明治三十七年四月号の雑誌「戦争文学」の一文をして、それを語らしめよう。

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「戦争一たび開けて、文士或は筆を収む。曰く武人の時、文士何をか為さむと、アヽ果して為すべき事なき乎。
 文士筆を揮ふは、猶武人の剣を揮ふが如く、猶、農夫の※[#「耒+巨」、164−下−5]を揮ふが如し。武人剣を揮ふて外に戦ふもの、武人の家国に対する義務ならば、文士筆を揮ふて[#「揮ふて」は底本では「揮うて」]士気を鼓舞するもの、亦必ず文士の家国に対する義務ならざるべからず。農夫※[#「耒+巨」、164−下−8]を揮ふて[#「揮ふて」は底本では「揮うて」]内に耕すもの、農夫の家国に対する義務ならば、文士紙を展べて軍民を慰藉するもの、亦必ず文士の家国に対する義務ならざるべからず。たとへ一概に然かく云ふこと能はざるまでも、戦時に於ける文士は、決して手を空うすべきに非ざる也。
 何となれば、死生の際が人を詩化せしむる如く、戦争は、国民を詩化せしむるものにして、死生の際が人情の極
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