ろう! どうして分らんのだろう!」
と、こんなことを、まるで熱病患者のように発作的に声に出して呟いていた。
彼はロシアの娘が自分をアメリカの兵卒と同じ階級としか考えず、同じようにしか持てなさないのが不満で仕様がなかった。同様にしか持てなさないのは、彼にとっては、階級を無視して、より下に扱っていることだ。娘をメリケン兵に横取りされる危惧もそこから起ってくる。
「何で、俺の肩章が分らんのだ! 何で俺のさげとる軍刀が分らんのだ!」
それが不思議だった。胸は鬱憤としていっぱいだった。
「もっと思うさまやってやればよかったんだ! やってやらなきゃならんのだった!」
彼は、頭蓋骨の真中へ注意をむけるような眼つきをして衝動的に繰りかえした。刀を振りまわしたのも、呶なりつけたのも、自分をメリケン兵よりもえらく見せるがためだった。彼には、そのやり方が、まだ足りなかったようで、遺憾に堪えないものがあった。
「俺は中尉だ、兵卒とは違うんだ! どうしてそれが露助に分らんのだろう! どうして分らんのだろう!」
が、彼は、軍隊の要領は心得ていたので、本当の自分の心持は、誰れにも喋らず、偽札に憤慨したという噂は、流れ拡がるにまかせて、知らん顔をしていた。……
七
鈴をつけた二十台ばかりの馬橇が、院庭に横づけに並んでいた。負傷者の携帯品は病室から橇へ運ばれた。銃も、背嚢も、実弾の這入っている弾薬盒《だんやくごう》も浦潮まで持って行くだけであとは必要がなくなるのだ。とうとう本当にいのちを拾ったのだ。
外は、砂のような雪が斜にさら/\とんでいた。日曜日に働かなければならない不服を、のどの奥へ呑み下して、看護卒は、営内靴で廊下や病室をがた/\とびまわった。
「さあ、乗れ、乗れ!」護送に行く看護長が廊下から叫ぶと、防寒服で丸くなった傷病者がごろ/\靴を引きずって出てきた。
橇には、五人ずつ、或は六人ずつ塒《とや》にかたまる鶏のように防寒服の毛で寒い隙間を埋めて乗りこんだ。歩けない者は、看護卒の肩にすがり、又は、担架にのせられて運んで行かれた。久しい間の空気のこもった病室から院庭へ出ると、圧縮された胸がすが/\しく拡がるようだ。病院へつれて来られる時には、うつゝで、苦痛ばかりを意識しながら登ってきた丘に、今、さら/\と快よい雪が降っている。
雪のかゝらない軒庇《のきひさし》から負傷者が乗りこむのを見ていた看護長は、
「何だ? 何だ?」
と、息せき/\這入ってきた聯隊の伝令に云った。
「これであります。」
伝令は封筒を出した。
「どれ?」
看護長は右の手袋をぬいで、よほどそこで開けて見たそうに封を切りに二本の指を持って行ったが、何か思いかえして、廊下を奥へ早足に這入って行った。
伝令は嵩《かさ》ばった防寒具で分らなかったが、二度見かえすと、栗本と同じ中隊の一等卒だった。毛の房々しい帽子をぬいで手のひらで額の汗を拭いていた。栗本とは入営当座、同じ班の同じ分舎にいた。巻脚絆を巻くのがおそく、整列におくれて、たび/\一緒に聯隊本部一週の早駈けをやらされたものだ。
「おい、おい!」
栗本は橇の上から呼びかけた。
田口は看護長の返事を待ちながら、傷病者がうまく橇に身を合わそうとがた/\やっているのを見ていた。
「おい、おい、田口!……俺だよ。」
痛くない方の手を振ると、伝令は、よう/\栗本に気がついたらしかった。が二人の間には、膝から下を切断し、おまけに腹膜炎で海豚《ふぐ》のように腹がふくれている患者が担架で運んで来られ、看護卒がそれを橇へ移すのに声を喧嘩腰にしていた。栗本は田口がやって来そうにないのを見て、橇からおりて雪の中の馬の頭のさきを廻って行った。
「俺《お》ら、今日帰るんだ。」彼は、帰れることに嬉しさを感じながら、「みんなによろしく云って呉れ。」
田口は、何か訳の分らないことを呟いて、当惑そうな色を浮べた。そして、こゝから又セミヤノフカへ一個大隊分遺される、兵士が足らなくて困っている、それに関する訓令を持って来た、と云った。一個大隊分遣される、それゃ、内地へ帰る傷病者の知ったことじゃない。が、田口のなんか事ありげな気配で栗本は直ぐ不安にされた。
「また突発事件でもあったんか?」
田口は、今、こゝへ来しなにメリケン兵の警戒隊に喧嘩を吹っかけられた、と告げた。二三日前、将校が軍刀を抜いたのがもとで、両方が、いがみ合っている。メリケン兵とも衝突するかもしれない。
そこへ軍医が出て来た。あとから、看護長がついてきた。その顔に一種の物々しさがあった。
「みんな一っぺん病室へ引っかえすんだ。」
軍医の声は、看護長の物々しさに似ず、悄然としていた。
負傷者は、一寸見当がつかなかった。なんでもないことのようであもあり、又、非常な
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