好が、活溌で気色がよかった。日本の女には見られない生々さがあった。
 彼等は、ロシア人の家へ遊びに行くひまが、偸まなければできなかった。勿論偽札はなかった。しかし、何故、彼等ばかりが進んでパルチザンをやっつけに出しゃばらなければならないのだろう! そして、女はメリケン兵に取られてしまわなければならないのだ! そうして、ロシア人から憎悪と怨恨を受けるのは彼等ばかりだ。彼は、アメリカ兵が忌々しく、むず/\した。アメリカは、日本軍を監視するために出兵しているのだ。全く泥棒のような仕業に、自分達だけをこき使う司令官を「馬鹿野郎!」と呶鳴りつけてやりたかった。
 栗本は闇を喜んだ。殴られた馬は驚いてはね上った。橇がひっくりかえりそうに、一瞬に五六間もさきへ宙を辷った。アメリカ兵は橇の上から懐中電燈でうしろを照した。電気の光りで大きい手を右のポケットに突っこんで拳銃《ぴすとる》を握るのがちらっと栗本に見えた。
「畜生! 撃つんだな。」
 彼は立ったまゝ銃をかまえた。その時、橇の上から轟然たるピストルのひゞきが起った。彼は、引金を握りしめた。が引金は軽く、すかくらって辷ってきた。安全装置を直すのを忘れていたのだ。
「どうした、どうした?」
 ピストルに吃驚した竹内が歩哨小屋から靴をゴト/\云わして走せて来た。
 栗本は黙って安全装置を戻し、銃をかまえた。橇は滑桁の軋音を残して闇にまぎれこんだ。馬の尻をしぶく鞭の音が凍る嵐にもつれて響いてきた。
「どうした、どうした?」
「逃がしたよ。」
「怪我しやしなかったかい?」
「あゝ、逃がしちゃったよ。」
 栗本の笑う白い歯が闇の中にあった。

      四

 馬が苦しげに氷上蹄鉄を打ちつけられた脚をふんばって丘を登ってきた。岩に乗り上げた舟のように傾いた橇の底では兵士が、でこぼこのはげしい道に動揺するたび、傷を抑えて歯を喰いしばった。
「おや、また入院があるぞ。ウェヘヘ。」
 観音経を唱えていた神経衰弱の伍長が、ふと、湯呑をチンチン叩くのをやめた。
 負傷者は、傷をかばいながら、頭を擡げて窓口へ顔を集めた。五六台の橇が院庭へ近づいてきた。橇は、逆に馬をうしろへ引きずって丘を辷り落ちそうに見えた。馭者台からおりた馭者はしきりに馬の尻を鞭でひっぱたいていた。
「イイシへ行った中隊がやられたんだ。ウェヘヘッヘ。」
 伍長は嬉しげに頓狂に笑った。
「何がおかしいんだ! 気狂い!」
 やかましく騒ぐ音が廊下にして、もう血のしみ通った三角巾で思い/\にやられた箇所を不細工に引っくゝった者が這入ってきた。どの顔も蒼く憔悴していた。
 脚や内臓をやられて歩けない者は、あとから担架で運ばれてきた。
「あら、君もやられたんか。」大西は、意外げに、皮肉に笑った。「わざと、ちょっぴり怪我をしたんじゃないか?」
「…………。」
 腕を頸に吊らくった相手は腹立たしげに顔をしかめた。
「なか/\内地へ帰りとうて仕様がなかったんだからな。」
 それにも相手は取り合わなかった。そして釦《ボタン》をはずした軍衣を、傷が痛くてぬげないから看護卒にぬがして呉れるように云った。痛がって、やっと服を取ると、血で糊づけになっている襦袢が現れた。それは、蒼白に、がく/\顎を慄わしている栗本だった。
 看護卒は、負傷者にベッドを指定すると、あとの者を連れに、又、院庭へ出て行った。
 さま/″\の溜息、呻き、訴える声、堪え難いしかめッ面などが、うつしこまれたように、一瞬に、病室に瀰漫《びまん》した。血なまぐさい軍服や、襦袢は、そこら中に放り出された。担架にのせられたまゝ床の上に放っておかれた、大腿骨の折れた上等兵は、間歇的に割れるような鋭い号叫を発した。と、ほかの者までが、錐で突かれるようにぶる/\ッと慄え上った。
「こんなに多くのものが悉く内地へ帰されるだろうか。そんなことをすれば一年内に、一個聯隊の兵士がみんな内地へ帰ってしまわなければならないだろう。だが、そんなことはさせまい。――このうちから幾人かはシベリアに残されるんだ。」さきから這入っている者はそういうことを考えた。
 軽い負傷者は、
「俺《おれ》ゃシベリアに残される、その一人に入れられやしないかな?」心でそれを案じた。そして、なま/\しい傷を持って新しく這入って来た者に、知らず識らず競争と反感の爪をといだ。
「どこをやられたんだ? どんなんだ?」
 頭を十文字に繃帯している三中隊の男が、疚《やま》しさを持った眼で、まだ軍医の手あてを受けない傷をのぞきこみにきた。
「骨をやられてやしないんだな?」
 栗本は、何を意味するともなく、たゞうなずいた。
「そうかい。」
 と、疚しさを持った眼は、ほッとしたように、他のベッドに向いた。そこで、又何か訊ねた。隣の病室でも、やかましく呻きわめく騒音
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