大西と並んでいる、色の白い看護卒が栗本を振りかえった。
「癪に障るからなあ、――一寸ましな娘《パルシニヤ》はみんなモグラの奴が引っかけて行っちまいやがるんだ。」大西は窓から眼をはなさなかった。
「あいつらが偽札《にせさつ》を掴ましてるんが、露助に分らんのかな。」
「俺等にゃ、その掴ます偽札も有りゃしないや。」
「偽札なんど有ったって、俺等は使わんさ。」
 彼等と、アメリカ兵との間には、ロシアの娘に対する魅力の上で、かく段の差があった。彼等は、誰も彼れも、枯枝のように無骨で、話しかけられと、耳の根まで紅くした。彼等には軽蔑しているその偽札もなかった。椅子のある客間に坐りこむ、その礼儀も知らなかった。

      二

 病室には、汚れたキタならしい病衣の兵士たちが、窓の方に頭を向け、白い繃帯を巻いた四肢を毛布からはみ出して、ロシア兵が使っていた鉄のベッドに横たわっていた。凍傷で足の趾《ゆび》が腐って落ちた者がある。上唇を弾丸で横にかすり取られた者がある。頭に十文字に繃帯をして片方のちぎれかけた耳朶《みゝたぼ》をとめている者がある。
 唇をやられた男は、冷えた練乳と、ゆるい七分粥を火でも呑むように、おず/\口を動かさずに、食道へ流しこんでいた。皆と年は同じに違いないが、十八歳位に見える男だ。その男はいつも、大腿骨を弾丸《たま》にうちぬかれた者よりも、むしろ、ひどく堪え難そうな顔をしていた。
 彼等は、人が這入って来るたびに、痩せた蒼い顔を持ち上げて、期待の表情を浮べ、這入ってきた者をじっと見た。むっくり半身を起して、物ほしげな顔をするのは凍傷の伍長だった。長く風呂に這入らない不潔な体臭がその伍長は特別にひどかった。
 栗本は、負傷した同年兵たちを気の毒がる、そういう時期をいつか通りすぎてしまった。反対に、負傷した者を羨んだ。負傷者はあと一カ月もたゝないうちに内地へ送りかえされ、不快な軍隊から退いてしまえるのだ。彼は、内地から着いた手紙や、慰問袋を兵営から病院へ持ってきた。シベリアに居る者には、内地からの切手を貼った手紙を見るだけでもたのしみである。
 一時間ばかり後、それを戦友に渡すと彼はアメリカ兵のように靴さきに気をつけながら、氷の丘を下って行った。
「俺《おれ》もひとつ、負傷してやるかな。」彼は心に呟いた。「丈夫でいるのこそ、クソ馬鹿らしい!」
 負傷者の傷
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