毛虫か稲子が頭をちぎられた位にしか感動を受けていない。
たゞ、囚人をのせてきた俥夫だけは、不吉げに悄れこんでいた。三つの洋車は、ぽそぽそと喇叭《ラッパ》もならさず、人ごみの中を引いて行かれた。俥夫は、強制的に狩り出された。一度罪人を運ぶと、一生涯運気が上がらない。そういう迷信があった。丁度、内地の船頭が土左衛門を舟に積むのを忌み嫌うように。それで悄れきっているのだ。
「こいつに見せちゃいけねえ、見せちゃいけねえ! おい、見せちゃいけねえ!」
ふと、三台の洋車とすれちがいに、又、三台の洋車が、刑場を目がけて全力で突進して来た。前の俥から、三十がらみの纏足の女がころげるように跳びおりると、無二無三に群集の垣に突き入った。そのあとから、狼狽した百姓が、女に追いすがって引き戻そうと争った。
「こいつに見せちゃいけねえ! こいつに見せちゃいけねえ!」
百姓は懸命な声を出した。
女は何かヒステリックに叫んで、大声をあげて泣き喚《わめ》き、群集をかき分けて、屍体の方へ近づこうとするのだった。
百姓は、五十歳すぎの老人だ。彼は大またに、かまんが[#「かまんが」に傍点]脚をかわしながら、両手をひろげて娘のような女を抱き止めた。と、女はその腕の中へ身を投げた。纏足の脚をばたばたやりながら号泣した。
「寃※[#「口+那」、204−上−19]《ユアンナ》! 寃※[#「口+那」、204−上−19]!」彼女は、百姓の腕に泣きくずれた。「悪い人は主人です! 悪い人は主人です! 主人がうちの人をこんなめにあわしてしまったんです!」
「諦めなさい、諦めなさい! どんなに歎いたって死んだものが生きかえれやせん」
老人は女をなだめた。「仕様がねえ! 諦めなさい! 諦めなさい!」
群集は、再び緊張して、その女の周囲に集りだした。彼女は、軍歌を唄い、包子をほしがり、砲台牌をねだったあの男のために悲しんでいた。山崎は、女と見ると、何か仔細ありげに中津に耳打ちをした。幹太郎は、なぜか、彼の直観に結びつくものを感じた。中津は、人々を押し分けて兵士達の方へ急いだ。
「あのデボチンは、支配人に使われとったボーイじゃなかったですかな?」幹太郎は、何気なげに訊ねた。
山崎は、聞えなかったもののように、そっぽをむいていた。
「むじつです! むじつです! 悪い人は親方です! 親方です!」
女はやはりすすり泣いていた。
「こいつの亭主は、決して土匪じゃねえんだ!」と、百姓はぐるりへたかってくる人々へ説明した。
「日本人の親方がこれの亭主に云いつけて、土匪のもとへ商売にやらしたんだ。そこを官憲に見つかって、土匪と一緒くたにされちまったんだ。自分のボーイに商売をやらしといて、捕まりゃ、もう日本人は解雇したから知らねえと云い張ってるんだ。悪えのは親方だよ。……親方が悪えんだよ! 日本人が悪えんだ!」
硬派でも軟派でも、細々と、小心に、ちょっとずつ扱っている人間は、発覚すると、自分自身の血税で、そのつぐないをつけさせられている。ところが、大々的に、何にでも手を出している人間は、取りこむだけのものは取りこんだ。血税は、使っているボーイが払わせられた。支那人のボーイは、主人の外国人の命令で、硬派の商品の運搬中に、逮捕せられ、水にぬらした皮の鞭の拷問や、でたらめな裁判で、死刑となることがどれだけあるか知れなかった。
幹太郎の一家は、自分で自分の血税を払っている組だ。彼は興奮せずにはいられなかった。若し、捕まった支那人のボーイと、それを使っていた外国人の主人とが、切っても切れない連絡があった確証が上がっても、外国人は、自分の国の領事館で裁判を受けるだけだった。ボーイが断罪となっても、主人は、自国人同志が、同胞愛で、罰金か、拘留か、説諭くらいですんじまう。中国人が、治外法権、領事裁判の撤廃を絶叫するのは、こんなところから原因していた。
女と百姓を取りまいている群集は、中津に注意された兵士達に依って追っぱらわれてしまった。女は、墓地へかつがれて行く夫の屍体のあとにつづいた。彼女は、三番目の俥に積んできた棺に、夫の屍体をおさめることを頼んだが、地方《ティファン》に容れられなかった。
「さあ、発車だ! 発車だ! おそくなっちゃった。」
見物にまぎれこんでいた機関手は、その時、ほっと吐息をするように、彼を待っている汽車の方へ馳[#「馳」はママ]け出した。発車時刻は、もう一時間もすぎていた。
一〇
領事館と支那官憲の疑問の眼が竹三郎の身辺に光っていた。
銃を持ち、剣をさげた第七区警察署の巡警は、歩哨のように、アカシヤの並木道の辻に立って、彼の裏門に出入する人間を見張っていた。夜間の、闇にまぎれて、こっそりと麻酔薬を買いに来る人間を見張っているのだ。
ふと、俊は、それに注
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