! 包子を持って来い!」
 彼は、頭を振って叫びつゞけた。
 群集は、銃を持った兵士が制するのもきかず、面白がって、前へ、前へとのり出した。幹太郎は、支那人の、脂肪と大蒜《にんにく》の臭気にもまれながら人々を押し割った。
 うしろへまわした両手を背中で項《うなじ》に引きつるようにされていた囚人は、項からだけ繩をときほぐされた。眼を垂れ、蒼白に凋れこんでいた一人は、ぼう/\と髪がのびた頭をあげた。
「俺れだって、好きや冗談で土匪になったんじゃねえんだぞ………」悲痛な暗い声だった。
 動かせないように囚人の頭と、背を支える二人の地方《ティフォン》がこづきあげた。動かせないのは、斬り易くするためだった。
「包子をよこせい! 包子をよこせい!」
「またあの眉楼頭《メイロートー》(デボチン)は駄々をこねてるよ。」
 幹太郎の傍で、紫の服を着た婦人が囁いた。前髪をたらしていた。すると、そのうしろの前歯のない老人が、
「やれ、やれ、もっとやれ! 困らしてやれい!」とそこら中へ聞えるように、何か明らかな反感をひゞかせて呶鳴った。
 幹太郎は群集にもまれながら、うしろから肩をつつかれた。
 山崎だった。そして、山崎と並んで、も一人、額の禿げた大柄な顔が、一寸彼を見てほゝえみかけた。やはり日本人だった。中津である。
「君、どっかへ行くんかね?」
 取り落して人波に踏みつぶされないように、一心に、ひん握っている幹太郎の手鞄を群集の動揺の間隙に眼ざとく認めて山崎は訊ねた。
 幹太郎はわけを話した。
 中津は、傍で話をきゝながら彼を見て、好意をよせるような、又、あざ笑うような、複雑な微笑をした。これは、この地方の邦人達を慄え上らしているゴロツキの馬賊上りだった。張宗昌の軍事顧問だ。
「ふむ。ふむ。」山崎はうなずいた。「俺れも今、二人で青島へ出むこうとするところだよ。君は、どんな用事だね?……ふむふむ……そいつは、妹さんが税関で引っかゝるなんて、まのぬけたことをやったもんだね。ふむ、ふむ。」
「支配人がやる商売ならどんなに大げさにやらかしたって、一向、見て見ぬ振りをしとくって云うんだが、親爺のようなぴい/\のするこたア、いけねえって云うんですよ。」
「そう、すねなくたっていゝさ。……それで君は妹さんを貰い受けに行こうとしているんだね?」
「そうですよ。」
「俺等が向うへ行ったついでに、早速貰い下げて来てやろうか。」と、山崎は、中津を見た。「俺等が貰うんならわけなしだよ。」山崎の声のひゞきには、それを現わそうとしているところがあった。幹太郎は、それを感じた。こんな時こそ、山崎を利用しなけゃ損だ、と思った。
「どうだ、情報料はなしで、只でやってやるよ。」
 そして、又、山崎は中津を見た。中津は、掴みどころのない微笑を、その鬚だらけの顔に浮べていた。幹太郎は、山崎が、いつかの冗談への応酬をしていると感じながら、殊更、気づかぬ振りをしていた。
 その時、群集の間に、激しい歓喜の動揺が起った。囚徒の頭と背とを支えていた二人の地方《ティフォン》は、頭から腕に、いっぱい熱い鮮血をあびていた。首のない屍体は、ガクッと前につんのめった。吹き出る血潮は、心臓の鼓動の弱るがままに、小きざみになって行った。
「うわあ! うわあ!」頸が落ちると群集はわめきたてた。「うわあ! うわあ!」
 拍手して喜ぶものもあった。これは、日本人には、解《げ》せない感情だ。
 三四分の後、三人は、悄《しょ》げかえっていた奴も、酔っぱらいも、頸が落ちるまで包子を要求してついに与えられなかったデボチンも、同じような姿勢で空骸となって横たわっていた。
 取りまく群集の間からは、纏足の黒い女房がちょか/\と走り出た。二三人も走り出た。男もまじっていた。それからはにや/\笑いながら、皮をむいた饅頭を、長い箸のさきに突きさして持っていた。士官と兵士達が去りかけた頃である。死体に近づくと、彼女達は斬られて縮少した切り口に、あわてて、その皮むきの饅頭を押しあてた。饅頭には餡が這入っていなかった。それは見る/\流出する血を吸い取って、ゆでた伊勢蝦《いせえび》のように紅くなった。
「やってる、やってる。」と山崎は笑った。「いつまでたっても支那人は、迷信のこりかたまりなんだからな。」
 中津はあたりまえだよ、というような顔をした。
「張大人だって、ちょい/\あいつを食ってるんだぞ。」
「第十何夫人連中も喰うかね?」
「勿論、食うさ。あいつが無病息災の薬だちゅうんだから。」
「張大人は野蛮だからよ……さぞ、内地の人間が見たら、おったまげるこったろうな。」
 群集はなお笑ったり、さゞめいたりしていた。彼等は、三人の人間が殺されたと感じてもいないようだった。犬か猫かが殺されたとさえ感じないようだ。幹太郎は、そう感じた。それは
前へ 次へ
全62ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
黒島 伝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング