かし、林へ這入ってしまうまでには、まだ、もう一つの村があった。
村のたむろ所には巡警のたまりがあった。
行儀正しくあとにつゞいている粗麻の喪主と、泣き女はくたびれると、欠伸《あくび》をして変に笑った。それが一人の巡警の眼にとまった。
そこで、葬列が村の屯所の前にさしかゝった時、状態が急に変化した。棺車は停止を命じられた。
銃と剣をつけた巡警は、車を取りまいた。
棺桶を蔽う天蓋や、黒い幕は引きめくられた。桶の蓋《ふた》はあけられた。蓋の下は死屍でなく、鉄砲と手榴弾が、ずっしりと、いっぱいに詰めこまれてあった……。
「うへエ!」
山崎はそんなことをも知っていた。内川は人の意表に出る男だ。
五
十王殿《シワンテン》附近に、汚ない、ややこしい、褌《ふんどし》から汁が出るような街がある。
幹太郎はそこの親爺の家に住んでいた。
そこには、彼の二人の親と、母親のない一人の子供と、二人の妹が住んでいた。彼は、そこから、商埠地《しょうふち》の街をはすかいに通りぬけて工場へ通った。
「あの、よぼよぼのじいさんは日本人ですか?」
邦人達は、黄白の眼が曇った竹三郎のことを、知りあいの支那人からきかされると、
「なに、あいつは朝鮮人だよ。」
と軽蔑しきった態度で答えた。
ここでは、邦人達は、労働することと、※[#「やまいだれ+隠」、第4水準2−81−77]者となることを、国辱と思っていた。
邦人達は、つい三丁先へ野菜ものを買いに行くのでも、洋車《くるま》にふんぞりかえって、そのくせ、苦力にやる車代はむちゃくちゃに値切りとばして乗りつけなければ、ならないものと心得ていた。
落ちぶれた、日本人が、苦力達の仲間に這入って、筋肉労働を売っているとする、――そういう者も勿論あった。
と、
「ふむ、あいつは朝鮮人だ!」
洋車の上から、唾でも吐きかけぬばかりに軽蔑した。
親爺の竹三郎は、その軽蔑を受ける人間の一人だった。
彼は、煙槍《エンジャン》と、酒精《アルコール》ランプと、第三号がなければ生きて行かれなかった。彼は、一日に一度は必ず麻酔薬を吸わずにはいられなかった。体内から薬の気《け》が切れると、疼《うず》くような唸きにのた打った。それは、桶から、はね出した鯉のように、どうにもこうにも、我慢のしようがなかった。
幹太郎は、その親爺が、見るからに好きになれなかった。
親爺は仕事らしい仕事は殆んど出来なくなっていた。そして親爺の代りは、妹のすゞがした。彼女は、今、三、四|封度《ポンド》を携えてくるために内地に帰って行っていた。
邦人達は、たいてい、この軟派を仕事としている。饅頭屋、土産物商、時計屋、骨董屋などの表看板は、文字通り表看板にすぎなかった。内川は大量を取扱う卸商とすれば、彼等は小商人だった。――そんな商売をやる人間がここには一千人からいた。
竹三郎もその一人だった。
阿片は、苦力や工人達には、あまりに高すぎる。そこで、阿片の代りに、もっと割が安い、利き目が遙かにきつい三号含有物がここでは用いられた。阿片なら、三カ月間、吸いつゞけても、まだ中毒しない、しかし、ヘロインは、十日で、もう顔いろが、病的に変化するのだった。
――これにも主薬と佐薬がある。調合がうまくなければ、売行はよくなかった。そして、その調合法は、それぞれ、自分の秘密として家伝の如く、他人には容易にそれを話さなかった。竹三郎は、いろいろな仕事に失敗して、とうとう、一番、最後の切札に、この三号品を扱い出した。当初、売行が悪いのに、苦るしんだ。何もかも、すべてに失敗しても、彼は内地へは帰れなかった。彼は内地を追われて来たのだ。
いくらでも、めちゃくちゃに金の儲かるボロイ商売のように云われている薬屋でも、やって見れば、やはり、苦労と、骨折がかゝるものだった。
「畜生! 今度は、俺がためしに吸うて見てやる。それくらいなことやらなけゃ、商売はどうしたって、うまくは行かんのだ。」
こんなことを云っていた時には、まだ薬の恐ろしさは、彼にも、妻にも分っていなかった。
「阿呆云わんすな。――中毒したらどうするんじゃ。」――お仙も笑っていた。
「そんな呑気なことを云っちゃいられないぞ。どうしたって俺は、日本へは帰れないんだ!」彼は品物がだんだんに売行きがよくなると、彼の顔色は、古びた梨のように変化した。
麻酔薬は、体内の細胞を侵していた。
彼は、蟻地獄に陥る蟻だった。どんなに、もがいても、あがいても、吸わずにいられなくなっていた。
すゞも、俊も、幹太郎も、内地からここへ来て、まる二年ばかりしか経っていなかった。
すゞは、「快上快」の調合から、原料の補給や、時には、それを裏口から、足音をしのばせて、そッと這入ってくる青い顔の支那人に売ることも為
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